太陽に近づきすぎた誰かは、翼をもがれて地に落とされる
ちょっと何かあった人のポエムです。
人生って楽しいよね。
私にとって、彼の人は太陽だと自覚したのはいつだろうか。
それこそ、「好き」だと感じたその日からずっと言っていることに変わりない。
過去の私はこう書いている。
>明るくて暖かくて近づきたいと、焦がれ思いあがったところで、絶対に近づけない人でいてほしいんです。近づいて何かになる可能性があるぐらいなら焦げて死にたい。自分なんて憧れてもいけないとすら思っているのに、無様にも焦がれてしまうから。
カテゴリすらつけたくない何か - 生きることは好きを形にすること
今でも強くそう思う。
変わっていないことに若干の安堵を覚えた。その理由は知りたくはない。
ファンサなんていらない。こっちなんて見なくていい。選ばれなくていい。褒められなくていい。認識されなくていい。
そこらへんの石と同じ扱いでいい。いっそ人間とすら思われなくていいと、今でも思っている*1。
そう思われていると思っているから、何度も会いにいける。
そう思い込んでいるから、ある程度であれば遠くでも追いかけていける。
じゃないと、私は行動できなくなる。
肥大しすぎた自意識が、ファンと称してしている行動に対して「それはストーカーと何が違うの?」と聞いてくる。
私はただのファンだ。きっと害ではあるが悪にはなりえない程度の、普通にどこにでもいるファンだ。
ストーカーじゃない。
いくらSNSや雑誌から読み取れる情報を集めて、覚えて、記憶して、想像して、”自分に都合のいい”声優様像を作り、それを好きだとほざいて、会いに行ける機会があれば色々を犠牲にして会いに行っているとはいえ、ストーカーじゃない。
いろんなファンの人を見た。ネット上だけじゃなくて、同担や他担と呼ばれるいろんなファンを現地で見てきた。
みんな輝いていて、好きが溢れていて、文句や暴言や聞きたくない言葉も聞こえてきたけど、でも、追いかけている姿は一緒で、私があの人たちをファンだといえるのだから、だから、私もファンであって、ストーカーじゃない。
太陽に近づきすぎた英雄は海に落ちて死ぬ。
あまりにも有名なギリシャ神話である。
私にとって彼の人が太陽だとしても、私は決して英雄にはなりえない。
でも、私にとって彼の人が太陽であり続ける限り、近づきすぎると、私というファンは地獄に落ちて死んでしまう。
距離が近づくのが怖い。
最前や俗に言う良席に何度か経験する機会もあった。
そのたびに、反応があると、私は距離感が狂う。
「もしかして、私のこと見た? 覚えている? 多少なりとも好んでいてくれる?」
そう、思い上がることもなかったわけではない。
「見た」程度で幸せになれるのは、相手の立場が特別な人だから。
「覚える」という人間関係の最低限で思い上がれるのは、相手が芸能人だから。
「好んでいる」なんて思い上がりは、どこからどう見ても地獄しかない。普通の人間関係でも、そう思い上がったら駄目なのに。
私は彼の人を太陽としている。
同じ人間だと思ってはいない。タダビトだなんて思う気がない。例え、手紙では全く逆のことを書いていたとしても。
それは偏見で、差別で、区別だ。
相手はただの人なのに。
生きて、呼吸して、ご飯を食べて、寝る、ただの人間だ。
親がいて、友達がいて、仕事仲間がいる、ただの人間だ。
理解はしている。
それなのに、私は彼の人を太陽として、人間としては見ない。
トイレなんて行かないし、秒で移動ができるし、ファンがいるようなところにいるわけがない。
賞賛で天狗にはならないし、批判に落ち込まないし、誘惑には負けない。
私は彼の人を人間としては見ない。
それは、薄ぼんやりと自覚していて、意識にいれていない。
これが正しい逃げ道なのか正道なのかはわからないけど、偏見を持っていることに意識的で自覚的でいたい。
相手が神格化されすぎた重さに潰れないように。
そして、私が彼の人を人間だと"思い知った"ときに、
太陽に近づきすぎたときに、
死なないために。
いろんな人が経験しているように、最前は最も近くて、最も遠い場所である。
私がファンとして死なないように、これ以上近づくことがないことを祈るしかない。
あとがき。
接近の距離感がわからないけど、当たらないと信じている限り何にも怖くないね!!!!!!
あと、声優様について書いていたけど、推しに対してはファンサほしいし以下略なので感情が違うんだなぁと改めて思った。
*1:できれば、私以外もそういう扱いをしてくれれば、もっといいのになって思っているけども。叶わないからただの願望です。