生きることは好きを形にすること

好きなものとか考えていることを形に残していく日記らしきもの。レビューも稀にする。

推しに対する願い事

ハローマッスル! 肩に什器乗せてますか?
私は某お祭りのときから3日に1回のペースですが筋トレをしています。なお、ダンベル何キロ持てる?と筋プルとTwitterで回ってくる内容以外はしていません。
で、疑問なんですが、太ももが太すぎるため「内転筋鍛えたら足が細くなる」と聞いて鍛えていたんですけど、あれ、筋肉ついてきた割に脂肪が消えてな……ハローマッスル! 筋トレ楽しいです!!!


なーんて、お前数ヶ月放置していたのに変わらないテンションでお送りしております。
推しのオタクで、声優様のファンの泡沫です。あ、相変わらず好きです。推しは増しませんが、自担以外の現場に行くことも稀にありそうな気がしてきました。いろんなものに対する興味を持つ気力が復活してきたので、内心自分を褒めております。

今回は「好きな人」(推しやら自担やらその他諸々)についての願い事について。


というのも、実はほんのりとそういうことを考える機会がありまして。推しに対しての同担の発言とか、どこぞやで見かけたブログとか。


「”推し”にああしてほしいと思うこと」について考えてみようかなって思いました。


私は推しには願うことがありません。
推しが「死にたい」といい、本当に「死」を望むのなら止めません。できれば、一緒に逝かせてほしいとは思いますが、自殺教唆は二次元キャラクターである以上、絶対にあり得ません。というか、「死」を望むことも、お金を生み出す成果物である以上、ないでしょう。死んだら終わりというわけではないですが、今後に一切関係ない「死」はコンテンツの終焉であり、お金稼げなくなりますし。

ああ、でも、もうちょっと「興味ない他人にも優しくしてほしい」とは思います。
私が「興味ない他人にも優しくしたい」人なので、自分の理想に近づいてほしいという願いは少なからずあります。
あと、できればTwitter辞めてほしい。

 

ん、思ったより願望があるぞ???

 

発言した内容が30秒で判例出てきてしまうほどに、他人に一切期待をしないことって難しいと思うんです。
自分でも自分の理想通りに動くことができないのに、いわんや他人をや。

全くの他人であっても、好意を抱いてほしいとか、エンタメコンテンツになってほしいとか、サンドバッグになってほしいとか、一切興味を持ってほしくないとか、その感情がプラスであれマイナスであれフラットであれ、何かしら望むものです。

じゃあ、無関係の他人ではなく、知り合いなら? 好きな人なら? さもありなん。
そういう人に対しても望むことがあって、そりゃあ当然だと思います。
「幸せに生きていてほしい」とか「笑っていてほしい」とか。もっと婉曲に言うと「できれば、自分の望む行動を取って(愛して・演じて)ほしい」とか。


じゃあ、それが悪いかというと、絶対悪くないと思うんですよね。
そういう願いや望みがあるから関係を続けているのであって、一切なくなればいてもいなくても変わらない存在と等しいのですから。興味がある以上、何かしらの期待があって当然だと、私は思います。


では、なんでこんなこと書いているのかというと。
推しに対して、願望を直接伝えている人がいたから、です。*1

その同担が、願望というか、不満をお伝えなさっていて。
その人の推しへの好意とか、熱意とか、個人的には好きだったんです*2。好んでいたんです。
でも、なんというかなぁ。それを推しというか、Twitterというか、現実世界にいる人に伝えても無駄じゃないのかなぁと思ったんですよね。
無駄なことを、他人にも見られている場所でやるの、空しくならないのかなって。


じゃあ、これが推しというか2次元の人でなかったら、と考えて。
伝えるのは無駄ではないけど、それは押し付けではないのか、と思います。

 

相手が近しい人──家族や友人や恋人なら、自分の願望を伝えて、相手に努力してもらって、自分の願望と相手の行動の妥協点を取るのは、関係を続けていくためにはとても大事なことだと思います。
むしろ、伝えず、察して変わってもらおうなんて言語道断。よろしくない。

でも、私たちオタクやファンが願望を伝えているのは、別に親しくも何にもない人、なんですよね。

とはいえ、顧客ではあるのである程度リサーチのためにお伝えするのはありなのかもしれません。でも、それをどこに伝えるのが妥当かというと給与を支払っている人、なんでしょう。*3

そういう代表取締役やマネージャー、「推し」ではない他人に見せても問題ない文章・内容を心がけて書くというのは、悪くない手だと思います。
だって、一個人の声が重要視されることって、顧客という立場を考えればないじゃないですか。自分の声や要望が通らなくても、それ以外の人が顧客でい続けるのであれば、それは自分が間違っているのだと思います。法律や倫理の良し悪しではなく、その企業の方針に自分が合わない、顧客ではなかったという話です。
ですが、ある一定の1ではない声が企業や代表に届いたら? かなりの数の真っ当な意見である投書が届いたら? そして、無視し続けると利益が損なわれそうな数ならば?

そこで「変われ」と命じるか、当人の好きにさせるか、そこはその人たちの判断で、なおかつその命令に従うかは当人の判断でしょう。

一個人の意見なんて、本当に無意味だと思います。どれだけ大事な顧客だったとしても、大口の株主でもない限りはその一個人にかまける企業は普通に繁栄できるとは思えません。

でも、だったら意見を言うことが無意味かというと、それこそ最初に言ったとおり、無意味であるとも思いません。
しかるべき場所に、しかるべき方法を取って、しかるべき言葉遣いで伝えれば、それは高確率で誰かが汲み取ってくれるでしょう。


だから、”推し”に何か思ったら、それをマネージャーや代表取締役にまで伝えられる意見かどうかを吟味して、しかるべき場所に投書をしたほうがいいと、私は思います。

 

さーてねー、推しのTwitterとグッズと企業のありかたと閣下の運用について、めちゃくちゃ意見があるのでしたためてきます。紙媒体のキャラ設定込みの販売で限定300個で再販なしとかふざけてんのか。普通に切れ散らかしたわ。しかも、キャラクターに言い訳させんなよ。ふざけてんのか。

*1:まあ、同担のリプライを見なければいいだけの話なんですけど、同担さんは同担ってだけで悪意を向けてくるので、つい、揚げ足とか弱みとか知りたくて、つい。
正直、ガッツやグッズ沼の明らかに愛情が重い人たちより、同担ってだけで悪意をもつ人が嫌いです。悪意を持つだけなら個人の自由なんですけど、それを見えるところに表す人が嫌いです。「ブロックしてもいいけど、あなたが推しにリプライを送る(=公開垢)である限り、IDと名前とリプライの癖を覚えて見てやるからな?」と思っています。

*2:ブロックされていることを除いたら

*3:「推し」が社長だとか、フリーという人がほどほどに思いつかれて、何ともいえない顔になりました。