生きることは好きを形にすること

好きなものとか考えていることを形に残していく日記らしきもの。レビューも稀にする。

私はライブに何を求めているのか ~某お祭りを終えて~

あーゆーれーでぃ? あーゆーはっぴー? と、元気かどうかでいうと元気です。

というか、推しがタイムカード生活していないだけでテンション上がります。「バンドマンにタイムカード生活さすな」と思っていますが、そもそもあそこのバンドマンって本当にバンドマンか微妙なんで何を言っても無駄ですね! あ、泡沫です。

ここのところ振り切れたテンションも、やっとこさ落ち付いて、落ち着いて…………きっとたぶん落ち着きました! わたしはげんきです!



ちょっと酷めの情緒不安定もあったんですけど、推しが活動するというビックバンのおかげで小康状態になりました。ありがとう、自ジャンル。あと7か月はあなたのことで情緒不安定になるから、本当に何卒よろしくお願い申し上げます。推しを幸せにしてください。

と、いうことで、落ち着いて考えることができるようになったからこそ、思考能力だけあって暇なので、考えたいことをゆるふわに考えていきます。なお、今回の記事は久しぶりに5000字超えて、私は満足です。最近2,3000文字ぐらいの記事しか書けてなかったんで、物足りなかったんですよね~~。*1

 

 

今回のメインテーマ:「何故、ライブに行くのか?」

サブテーマは「某お祭りを終えた感想」です。

サブテーマではありますが、某お祭りの内容については一切感想がありません。これを読んでも何も伝わりません。なので、某お祭りについては伏字進行です。Googleフォーム等からの検索除け以外の理由はありません。隠す気皆無ですが、ご了承ください。



 

 

 

私は推しのファンです。

推しはバンドマンで、ライブしているはずなので、推しのファンとしてはライブが好きというのは別に違和感のない話です。

でも、実際に推しは存在しません。つまり、ライブなんて夢のまた夢。推しのライブなんてものは空想上にしか開催されず、参戦することはできません。

だからこそ言いますが、私は推しに対しては”ライブの楽しさ”を見出せません。だって、行ったことないものを「楽しい」と断言することはできないから。

楽しいのだろうとは思いますが、それはあくまでも推論であって、生来のライブが好きだったわけではないから断言できないんです。

 

そして、話は少し変わりますが、私は声優様のファンでもあります。

ライブも開催されるため、ライブに行くし、ライブの開催に喜ぶし、楽しむし、はしゃぎます。けど、あくまでも私は声優として、演者として、演じる者としての声優様が好きな人です。私は声優様の声と演技が好きです。

包括表現として表現者(声優・俳優・アーティストを含めた意)として好きなんだろうと思いますが、声優業・俳優業と比べるとアーティスト業はどこからどこまでが当人がしたい表現で、どこからどこまでが周りの人がお願いしたものなのか、はっきりはしないです。「自分で頑張った」と豪語していらっしゃる某ソロ曲は、それこそ当人の臨んだ表現であると思うし、ソロ曲自体全部作詞していらっしゃるからこそ、そこは表現者として疑いようはないと思っています。でも、他の演じる業と比べて、アーティスト業の演じるというか表現する幅は限られているように思います。

※アーティストの方の表現幅を軽んじているのではなく、声優様当人が表現する手段として声優・俳優業のほうが度合が強そうという私個人の価値観です。




じゃあ、なんで「声優/俳優業をする声優様」が好きだと自覚しているのに、ライブが楽しいのでしょうか。

(あくまでも、他人の価値観を用いた私個人に対する考察・感想であり、他人に適用できるとは限りません)


「困ったときは人の意見を見てみよう」ということで、いくつか調べてみました。

調べた結果になりますが、適当に人の文章を引用したいと思います。

 

ある統計によると、ライブやコンサートに足を運ぶ理由は
“アーティストを生で見たいから”が60%以上と圧倒的に1位でした。
他にも
・ファンだから
・生で聞いたほうが迫力があるから
・テレビなどのメディアの露出が少ないから
・ストレス解消のため
・ライブで売られているグッズが欲しいから
など様々な理由がありました。
(中略)
実際に感じたライブの良さ
“会場の一体感”
ライブの良さはこれに尽きると思います。
(中略)
“非日常感”

なぜ人はライブに足を運ぶのか?その理由を探る。

私の考察4点を紹介したいと思います!
? 聴いてる音の音域が違うから
(中略)
? 体と音の接触面積が違うから
(中略)
? 視覚効果があるから
(中略)
? 一緒に踊る人がいるから

音楽ライブはなぜあんなに楽しいのか、深く考えていたことを発表する話。 : 器用貧乏サラリーマンazamixx(あざみっくす)の「人生が素敵になるかもしれないブログ」

好きなアーティストのライブに行くのは本当に楽しい。それはなんでだろう?っていうのをちょっと考えてみた。
・めったにチャンスがない
(中略)
・一体感
(中略)
・終わったあとの楽しみ

なぜ好きなアーティストのライブは楽しいのか - oinume journal

今回は、そんな僕が感じるライブの素晴らしさについて3つ書こうと思います。
・一体感
(中略)
・曲の価値観が変わる
(中略)
・日常が変わる

ライブへ絶対に行った方が良い理由 - 人生に地図はない

 

まあ、他にも世の中にライブのすばらしさを説いている記事はあるでしょうが、今回はこれまでにしておきます。

 

挙げられた項目を大まかに分けると、最初・最後の人の記事にある通りに大きく2つに分けられると思いました。

・”非日常感”
・”会場の一体感”

 

チケットを取って、通勤通学圏外の会場に向かい、普段は聴覚しか使わない音楽を五感をフルに使って楽しむ「非日常感」とその「非日常」に付随する思い出を得られること。
そして、「非日常感」を演出している一つである「会場の一体感」。

これがライブの良さなのだと、思いました。


確かに、普段のイベント*2でも「非日常感」の一端を味わうことができ、その「非日常感」はストレス発散になりますが、「一体感」は味わうことはありません。

 

そもそも「一体感」って声優業のみのファンだと得にくいように感じられます。

アニメイベントやバラエティイベントや舞台挨拶って如何せん「登壇者」と「客」であって、誰とも「一体感」を得ることがない。むしろオタクにとって演者と友達以外は大体敵じゃないですか。え、違いますか?

思い返せば、ライブ以外のイベントで「一緒に作り上げていきましょう!」みたいなそういう煽りはあんまり聞かない気がしますね。「楽しんでください」はよく言われるけど、ファンから”推し”を楽しませることってあんまりない気がします*3。どっちかというと「集合的沸騰」の話が近いのかもしれない。

 

だからこそ、普段関わることのない他のオタクとだけではなく、”推し”とも「一体感」を得られるライブはほかのイベントと違うのかもしれないと思いました。ライブはみんなで作り上げていくものだし、普段「登壇者」と「客」として超えられない壁があるのに、ライブになると一緒に歌い、踊り、歓声を上げ、盛り上げることで一緒になれる。

これはほかのイベントでハマっていたら、ライブが楽しいと思うのも致し方ないのではないでしょうか? だって、”推し”との共同作業ですよ? え、やばくない???

 

と思ったところで、集合的沸騰でggっていたらすでに似たような記事上げている人いたので、貼っときます。短い文章で書いてあるから、疲れた人は紹介しているほうだけ読んでいれば問題ないです。

コンサートの共感促進作用が「集合的沸騰」をもたらす - 音楽のチカラ活用術♪使える18の効果・効能〜 - Yahoo!ブログ
なぜスタジアムやコンサート会場は盛り上がるのか ( その他社会学 ) - 社会学系研究者の台湾滞在記 - Yahoo!ブログ

 

 

それじゃあ、私の話を勝手にします。

声優様のファンになったのは初めて行ったライブだから? とも思ったけど、最初のライブはJのグループなんですよね。そのとき一応はそのJグループのファンになったので、確かに「人に誘われて好きでもないのに行った初めてのコンサート、なのにそのミュージシャンのファンになってしまう」状態だったと言えます。でも、その感情は長持ちしなかった。だから、やっぱり、声優様のファンになったのはある種の運命か。なんて世迷い事を言いましょう。嬉しくない運命だなぁ、まったく。




そして、これを通してなんだかんだ前回のお祭りで不安に感じていたところが見えてきた気がしました。

 

私はグループどころか声優様の個人ファンです。

これはほぼほぼ揺らぐことのない事実で、ほかの方への敬意はあれど、語弊があると思いますが愛情がありません。

個人的なイメージですけど、オタクやファンの愛であっても大体見返りが必須な愛情だと思っています。そして、見返りとして”推し”から歌や場や時間、空間を頂いていると思います。でも、それを見返りだと思えるのは相手が”推し”──相手が好きなときだけじゃないですか?

 

私の好きは基本重たく相手を追い込むタイプの好きか、浅く広く1日経てば名前も興味も失せる軽いタイプの好きしかありません。そして、浅く広くの軽い好きを維持するだけの愛情すら、タレントの方々には基本的に湧きません。だって、維持する利点がないから。利点のないことをしている余裕も暇もないから。

だから、私の興味は好きな人の好きな人までしかもちません。

それを今回のお祭りで甚く実感しました。

 

パフォーマンスとして、その人個人のタレント意識が好きな人もいましたが、そういう人の感想は全部声優様への好きと感想で塗りつぶされます。某方の考え方とか価値観とかパフォーマンスとか本当に、本当に、見ていて好きだなって思ったし、推していたらどれほどよかったかと思いますけど、やっぱり私はそちらを向けないし、お金も時間もかけられないなと思います。その人が悪いのではなく、私には心に決めた人がいるから。暇と余裕は全部心に決めた人にかけると決めているから。

そして、仲良くしたい人の好きな人の場合は、仲良くしたい人の好きな人だからこそ、つまりは「楽しいを作ってくれたすべて」を仲良くしたい人に伝えたいからこそ、「楽しい感情」が継続する。これに尽きます。*4

 

私はレーベルのファンではないというか、声優様が所属するグループ以外のファンでは絶対にならないからこそ「一体感」を出せる気がなかったんです。知らない曲・初見の曲で一体感は感じれないし出せないけど、生で聞くのは楽しい──つまり、「非日常」を感じられるから私自身は楽しいだろうとは思ったけど、私はグループ以外のときに「一体感」を出せる装置にはなれる自信はなかった。「一体感」を出せない私がその場にいていいのか、みたいなそういうことを悩んでいたんだと思います。

終わったあとなので、感想を述べると、他人はどうかは知らないですが私は知らない曲でもリズムを取ったり、繰り返しがあればフレーズのコーレス返すこともできます。失礼かもしれませんが、初見曲の音ゲーと一緒みたいな感じです。フルコン・パフェは無理だけど、クリアはできるみたいな、そういう無駄な自信があります。

そういう面では未知曲の「一体感」も楽しかったです。でも、やっぱり知っている曲のほうが「一体感」があって楽しかったですけどね。

 

だからこそ、私は「一体感」を出す・得るためには、曲やコーレスの予習は必須だと思います。

 

この価値観は誰に言われても変わりません。それを強要しているように感じるのも、たぶん、変われません。

 

だって、ライブに「一体感」を一切求めていない人は少ないでしょう?

多分そういうのを求めていない人もいるんでしょうが、大多数が「一体感」を求めているから空気を読んで「一体感」を出す装置をしているように思います。座って黙って見たいたいけど、周りが立ってペンライトを振っているから、一応1本は持っていくし立って振っているってタイプは「非日常感」だけを求めて、「一体感」を求めてないのかなと思いました。

黙って座って聞いていてもいいと思いますが、やっぱり異質だと思うし、(見にくいってのもあるんだろうけど)”推し”のときだけ立っていたら、マナー違反に見えますね。*5

 

さて、少し脱線しましたが、「一体感」の強要しているように(勝手に)感じたのは大きく二つの理由です。

 

少なくとも自坦グループの単独ライブはコーレスできて当然みたいなファンが多かったように感じているから。

まあ、「コーレス頂戴!」ってグループなのでというのもあって、私としても”推し”が求めるものは返して、当然だと思います*6

 

自坦グループ以外の話だと、全体曲で振り付けがあって、それを全員がするとか、私は知らなかったから。

そういえばでいうと、盛岡のファンミの時にやけに踊っている人が多かったなと思った記憶はあったんですけどね(そもそもそこでCDになっていない全体曲があるって知ったレベル)

今回、その全体曲の振り付けを知ったのも、確か日課のパブサをしていたときに、誰かがツイートしていたのを偶然見かけられたからです。見つけていなかったら、きっとあそこまで振り付けの予習に精を出さなかったと思います。

盛岡のファンミの記憶とか正直皆無だったんで、ツイートしてくれてありがとう、見知らぬ人。ぼっちはこうして経験を積みました。

 

でも、ここまで書いて、一抹の不安があります。ファンも踊るのって実は別にやっていいも悪いもなくて、踊るのが好きな人が勝手にしているだけ、なんでしょうか? 私は演者が求める反応返すのが大好きなので、振り付けやっていいのならガンガンやるタイプですけど、ローカルルールや一部の人のルールだったらどうしようかなと思います。

 

考えれば考えるほど面倒になってきたから、やっぱりあれは全員でやるものだと思っておこう。そうしよう。

 

がっちがちにルールで縛るのは嫌ですが、「やってもやらなくてもいい行動」で、「誰かが文句を言っているのを見かけたことがある行動」は不安になります。

そういうのって「普通の常識」として「知っていて当然」といわれるから。

義務教育で学んだもの以外を「常識」や「普通」や「当然」と言われても、口伝で教えてもらうか経験しなきゃ知ることはできないのにね。

やっぱり友達作らなきゃダメかなぁ。こういう理由で友達作るのも不純な動機だと思うし、そもそもこの目的なら友達というより、先輩や先生っていうのが適当な気がする。

求:先生
譲:要相談

こうですか? わかりません。




最後になりますが、寒くて、立っているのに膝が震えるってアニメ的状況初めて体感したし、改めて同担も他のオタクも怖いと思ったし、女性のみの満員電車っていろんな意味で無理だなって思ったし、立地酷いと思ったし、モチベはMC含むライブのときと全部終わってからしかなかったけど、声優様のグループ以外の人のライブという多分普通に生きていたら見る機会のないものが見れたし、すっごい楽しかったです。事前に同レーベルの”推しさん”のオススメ曲とか話とか聞いていてよかった! いろんな人から推され、愛される理由がよくわかった! すごい! これに尽きる!!

そして、今回のお祭りを経験して、数人ほど単独ライブにお邪魔したいなって思ったけど、お金と時間と声優様イベとのブッキングと「他坦は行くな」教で、実現するのは難しいだろうなぁ! なので、来世に期待です!

ジョイントライブってのもありなんだろうけど、純粋に倍率上がるだろうからなぁ……。にわかだけどファン傾向見ていると、次のジョイントしたら再度の白さんか緑さんになりそうな雰囲気を感じております。勝手なイメージですけど、声優様と兼業が多いイメージがありますね! ははっ!

*1:エゴサしているときに、「長々と書いているだけ」っていう感想見かけたんですけど、私は徹頭徹尾長々と、回りくどく自分の考え書いているだけですよ? 知らなかったんですか?(煽り)私は冗長的表現を書くのが大好きです。いつもこんなくそ長い文章付き合ってくださるみーんないっぱいちゅき💚です!

*2:声優様に会うことができる音楽系イベント以外を指しています。その他声優さん、俳優さんの方のイベントは知らないので悪しからず。

*3:観劇中の千秋楽スタオベもなんか「一体感」あるけど、あの瞬間は我々ファンが演者を楽しませることができるタイミングだからかなってふと思いました。

*4:余談ですが、気にしいの知覚過敏な考え方ですが「仲良くしたい人の”好き”な人」なんで「好き」っていうの憚れるんですよね。だって、同担になったらちょっと嫌な気するかもしれませんし。「ここが良かった」や「この表現の仕方は好き」は誰にも問題がない発言だけど、「この人好きだな」とは言いにくいみたいな。私の気持ち的には他人の彼氏に対して話しているようなものです。

他人の推しさんと他人の彼氏さんは私にとっては似たようなものですね! 惚気聞くのも愚痴聞くのも仲良くしたい人もしくは推し/彼氏さんに興味があるとき以外はできないのも納得した!

*5:ただ近くにいた「推し」以外の時に座っていて、「推し」が出る直前に毎度厚底ヒールに履き替えていた某担当の人は私の不快指数を上げまくったので許せません。

*6:とはいえ、当日発売ソングのコーレス求めたことは割とおこだからな。