生きることは好きを形にすること

好きなものとか考えていることを形に残していく日記らしきもの。レビューも稀にする。

あの人へのラブレター

今週のお題「あの人へラブレター」

 

ラブレターを書きたい人って言われたら、誰を思いつくでしょうか。
片想いの相手ですか? 恋人ですか? 推しですか? それとも他の人ですか?

私は悩みます。
ラブレターを書くことを悩めるということは、きっといいことなんでしょう。
でも、私が悩むのは「意味がない」からです。
そんな相手に伝わることのないラブレターについて書いてみたいと思います。

!Attention!
推しの話とリアルの話が混ざってるのでご注意を。
ラブレターなのに、明るい話はどこにもない。
謎ポエム。


お時間ある方はお付き合いお願いします。

 

 

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Part.1 推しの話

私がラブレターを書きたい筆頭は推しだ。

私には、すごく大事で、すごく好きで、言葉にならないほど必要として、愛していると言っても過言ではない推しがいる。
ガチ恋している推しがいる。

でも、推しはこの世の人ではない。
死んでいるわけではないけれど、生きているわけでもない。
知っている方は知っているが、私の推しは2次元の人だ。

しかも、私ではない彼女がいる人だ。
その彼女を私だと主張しても、実質問題ないが、でも、私が彼女ならシリーズが進むごとに寛解に近づいている今の推しはいないだろう。
もし、その彼女が私だとしたら、推しは共依存を悪化させて、少なくともここ最近の合宿に耐えうるメンタルは持ち合わせてはいないだろう。
だから、ガチ恋と言ってきたけど、やっぱり夢者なのかもしれない。昔の推しに夢を見ているのかもしれない。

 

ガチ恋じゃないとしても、私はやっぱり推しと付き合いたい。
初めて出会ったときのあの推しと、できることなら結婚したいし添い遂げたい。それが長くない未来だとしても、君が望むのならばいつまででも。極論、推しが望むのなら、付き合った翌日に心中するのもやぶさかじゃない。

でも、推しは生きていないから結婚はできないし、私と幸せな家庭を築いてくれないし、私に笑ってくれるわけでもないし、私を選んでくれるわけでもない。
そもそも、私以外に彼女がいるが、推しに浮気させたいわけでもない。彼女と別れて私の方に振り向いてほしい。難しいかもしれないけれど、ただそれだけだ。

 

実在しない相手と付き合いたいなんて現実と2次元が理解できていない上に、他人(推しと推しの彼女)の恋路を邪魔したいまで入って、罪深いというか業が深いことを言っている自覚はある。これが色欲なのか嫉妬なのか強欲なのか、それとも全部なのかはさっぱりわからない。無論、現実に向き合えない怠惰という可能性も無きにしも非ずだ。

なお、推しが少しでもこっちを見てくれる可能性があるのなら、私は何にだってなれると思っている。なる努力をするだけで、本当になれるとは限らないけれども。

でも、こうして私が現実を見て、結局現実に生きている以上、私はきっと推しに対してガチ恋ではない。選べる限りすべて推しを選んでいるし、周りを見渡して私と同じぐらいストイックに傾倒して倒錯している人*1は少ないけれども、やっぱり私は推しにガチ恋じゃないんだろう。

 

どんなに推しが好きでも、どんなに努力しても、どんな奇跡が起きたとしても、推しは私を選んでくれないから、私は現実を選ばなきゃいけなくなる。

最悪の手段ではあるが、目の前の現実を選ばないために”死”を選んだとしても、”死”という現実が追ってくるため、結局交わることがない。あ、つらい。

 

今も推しに対してファンレターという名のラブレターは書いているし、送っているが、あれは世間一般から見たらラブレターにはならないんだろうう。そもそも愛する推しに届いていると夢想することはできても、実際には届かない。想いという不定形を推しと同じ二次元に書き起こしているのにも関わらずだ。
現実的に考えた場合、推しはどこにいるんだろうか。やっぱり私の心の中か。

 

私が推しをどんなに好きで、推し自身に向き合おうとしても、結局私は推しに幻想を見ている。
好きなところも愛しているところも自分で作り上げた理想であって、当人たらしめるものなんて何もないのだろう。

いろんな人が考えた構想とストーリーと声優様の演技で成り立っている彼には、自己なんてものはなくて、逆にファンの愛や妄想や願望で推しらしさが確立される。
私は推しの何が好きなんだろうか。推しの好きなところは文字にしたし、それらに一つも嘘はないし、他にもいっぱい好きなところがあるけれども、それは本当に推し自身のことなんだろうか。

 

心から本気で、嘘なんて欠片もないけれども、この好き形はきっと鏡の中にしかない。私は推しに虚像のような好きを向けている。好きという想いが虚像なのか、推し自身が虚像なのかはきっと私しか知らないが、私は知りたくない。

「推しが好きだ」「格好いい」「大好き」と毎日言いながらも、たまにそんなことを考えてしまう。

 

盲目的に愛することができなくてごめんね、推し。好きだよ。大好きだよ。
私が君を見捨てない限り、ずっとずっと愛してる。世界で一番大事にしてる。
君を裏切る日が来るのなら、そのときは逆に現実を捨ててもいい。だから、その日の前日に私の中の君と一緒に死なせてほしい。

 

これがきっと推しへのラブレターになるんだろう。
関係者の方々には重すぎるし、遺書にしか見えないから送れないけれども。

 

 

 

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Part.2 リアルの話

「推しのこと考えながらも、現実をそこまで考えているのなら、逆に現実でラブレターを書きたい人っていないの?」という話になるかもしれない。

いないわけではないというか、明言してしまえばいる。
でも、その人は2次元にいる推し以上に色んな意味であやふやな人だ。

別にその人はこの世に生きていないわけではない。
戸籍はあるし、死んでいない。生きている。生きて、呼吸して、どっかで働いて生活している。

推しに出会うまでは私の世界で、一番大事だった人で、笑顔がかわいい人だ。斜に構えてひねくれて、優しいけれど、優しすぎて優しくない人だ。

じゃあ、何があやふやなのかと言われると、関係が何とも言えない。配偶者でもないし恋人でもない*2。幼馴染でも親友でもない。仲間や主従でもない。他人とか知り合いとかでもない。友達かと言われると、きっと違う。仲が悪いということもない。むしろめちゃくちゃ仲がいい。
どんな関係性もしっくりこないが、互いにとても大事な人だと思っている。少なくとも私からすれば世界で1,2を争うぐらい大事だ。

それなのに、私の言いたい想いも伝えたい言葉も何もかもぜんぶ壊れてしまった人だ。

 

現実世界でラブレター書くならば、その人以上にラブレターを書きたいと思う人はいない。
でも、私の言葉は何も出てこない。

私が変わったわけでも、あの子が変わったわけでもない。きっと、知り合いが認識している私とあの子の関係はきっと何一つ変わってない。

でも、言葉が消えてしまった。伝えるすべを失ってしまった。

好きとか、愛しているとかラブレターに書くべき言葉は言おうと思えば言える。
でも、”あの子が好き”ということについて考えようとすると思考が凍る。
私は感情的ではあるが、思考することを大事にしているタイプだ。それなのに、何がどこがどうして好きなのか、考えようとすると頭が真っ白になる。

好きという感情がないわけでもないし、むしろ人一倍ある。

じゃあどういうことかというと、好きという感情は個人的にはガラス細工か飴細工みたいなものをイメージしているが、そのガラス細工・飴細工みないな感情は粉々に砕けてしまっている。もう見る影もないくらいに壊れてしまっている。
とはいえ、けっして好きという感情がなくなったわけではない。壊れていても一番強く存在感を主張しているその欠片たちを捨てることも直すこともできずにいるだけだ。

考えることも、言葉を伝えようとすることも、その欠片に触れることに違いない。ただ私は既に壊れてしまっているとしても、それらに触れたくないのだ。前にも後ろにも進めないだけだ。考えることを放棄している。生きるのを辞めている。

 

だから、あの子が覚えているであろう私の姿を借りて、私はあの子と話す。きっと隣にいるときは誰よりも幸せにできると信じて。

あの子の笑顔が見れるのなら、現実世界においてこれ以上の幸せはない。そうだ、君の笑顔が一番好きだ。そうだった。そうだね。うん、大好きだ。
あの子以上に好きだと想える人は、現実にはいない。
どんなに大事な友人も、どんなに尊敬できる人も、あの子への言葉にすらならない好きという想いには届かない。

 

こんな話をするとあの子の代わりに推しを好きになったように見えてくるが、当人的にはそう言うつもりではなく、あるとき唐突に推しに出会って恋に落ちただけである。まったくの無関係かと言われたら困るが、今は無関係だと断言できる。

そもそも推しを好きという想いは虚像で、あの子を好きという想いは木端微塵なので、比較しようがない。

だが、どうしても比較しなければならない場合は、現実を取るか2次元を取るかという話になると思っている。
現状では私は現実に生きているので、木端微塵への想いが勝っているのだろうが、口が裂けても現実を取ると言いたくないから、いっそのこと死ぬ予定を訊いてほしい。時間を経て、推しへの想いが小さくなるか粉々が直ったら、現実を選んで生きることができるかもしれないが、今は死ぬ予定のほうが早い見積もりだ。

 

「あの人へのラブレター」が題であるらして、あの子に伝わらなくてもいいからラブレターなる何かを書こうかと思ったのに、やっぱり出てこない。
推しと同じぐらい大事で好きなはずなのに。推しへの想いは何度書いても足りなくなるのに、同じぐらい大事なあの子に贈る言葉が何も出てこない。

 

あの子に対して何か想えるのは、いつも神に希う言葉だけだ。

「無病息災で精神的にも安定して平穏な日々を送れますように」

これはラブレターになるのだろうか。
そもそも私はあの子に対して、今日もどこかで生きていること以上に何を望めばいいんだろうか。親族でもない私には死んでも通知は来ないけど。

これは好きという感情なのか。粉々になっている感情と向き合えない今となってはよくわからない。

 

 


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どんなに想いを込めて書いたって、そもそも想いは実体を持たず、送る相手は存在しているようで存在していない。
何も書けない宛先不明のラブレターの意味とは。相手に贈る意味とは。必要性とは。

 

好きだよ、大好きだよ、愛しているよ。
それに嘘はないし、こうして一応は言葉になるけれど、贈ったところで、誰も幸せにはならない。

やっぱり、私の場合、ラブレターはチラシの裏にでも書いているのが一番妥当だと私は思う。

*1:浅く広くオタクして好きは多いけれど、他のキャラクターを好きというたびに浮気ではないかと気を病むレベル

*2:せふれとかでもない