終わることの無い戦いへの強い支援になりたくて
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私は普段オタクのよしなしごとを考えるのが常なんですけど、実は一度だけまじめにとある人に向けて言葉を綴りました。
今日はラブレターの日でした。
つまりはそういうことです。
あれはラブレターではなく、チラシの裏に書いたことなんですけどね。
別に見られたくないとかないし、非公開にしていないし、なんなら書いた当人に投げつけようかなとは考えているんですけど、別にそれを今このブログを開いてくれた人に読んでもらいたいわけでもないので、どうしても読みたいかたは面倒でしょうが遡ってください。
1年前に書いたラブレターについての記事の自身での追記の記事です。
推しとその人にラブレターを書きたいと言って、早1年が経ちました。
ブログを書いた当時、声優様のことはそこまで好きではなかったというか、好きであることを自覚していませんでした。今は声優様への好きは自覚したというか沼底にいるというか、深淵の淵で佇んでいるんですけど。
でも、私は声優様にはラブレターを書けません。
今も同じ題材で「ラブレターを書くのなら」と考えると、推しとその人しか挙げれません。
これが一番わかりやすい、どんなに好きでも声優様のこと恋愛対象と見ていないことの証明になります。
別記事でですが、ラブレターという名のファンレターを書こうという話をしました。
ファンレターなんて、好意を最大限に詰め込んで、愛を謳う手紙です。私は今までそこそこのファンレターを書いてきましたし、その時に込めた好意は噓偽りなく、本当に、本当に、声優様に感謝しているし、大好きだと伝えている。
でも、私は声優様にはラブレターを書けません。
去年、ラブレターにまつわる記事を書いて、書き終えたあとに他人が同じお題で何を書いているのか気になって、お題を読み漁りました。
いろんな人のラブレターの話がいっぱいあって、本当に楽しく読みました。
でも、ひとつだけ、本当にひとつだけ、読んでいて、言葉にならない感情を抱いた記事があります。
本当に、お願いするから読んでください。
と、書いても読まない人はいると思うので、簡単に引用します。
その授業で「ラブレターを書く」という課題を出された。
(中略)
前提
・現状での恋愛感情の有無は問わない
・過去の想いであっても現状の相手に向けて書くこと
・提出する為の第三者に向けたものでは無く、相手に向けた手紙形式で書くこと
相手の条件
・実在する人物である事
・芸能人、著名人はNG
・1度は実際に会った事がある相手である事
・性別は問わず
・友愛で無く、恋愛感情がある相手である事
・相手の状態・立場は問わない
・自分と相手の関係性は問わない
内容の条件
・相手の名前は実名でも匿名でも可
・現在の、相手と自分の関係性を明記すること
・現状で、相手は自分をどう思っているかの予測を書くこと
・恋愛感情を覚えた時のエピソード、その時の気持ちを書くこと
・恋愛感情を覚えてから自覚してなかった時と比べ、自分の気持ち・行動の変化を書くこと
・恋愛感情が膨れていった経過を書くこと
・相手の好きな所を3つ以上明記する事
・自分にとって相手が他の他人と比べ、なぜ特別なのかを明記する事
・今、自分が相手に伝えたい事を書くこと
ここで芸能人がNGとされているんですけど、相手が本当に好きで、「現在の、相手と自分の関係性を明記すること」「現状で、相手は自分をどう思っているかの予測を書くこと」を書けて、それがラブレターだと認識できるのなら、個人的には芸能人でもいいと思います。
多分、高校生相手の授業なので、芸能人の方に本気でラブレターを書くのが難しいから、出された制限だと思います。そして、その制限は「相手の好きを軽んじている」のではなく、「ラブレターを書くことを重要視している」だけだと思いました。
話は続きます。
この課題を課した先生は雑談と称して以下の言葉を生徒に投げかけます。
これは雑談ですが、先生は結婚をしていて子供もいます。
子供は血の繋がりはありますが、嫁は婚姻関係を解いてしまえば他人になります。
何を持って他人を好きになるのか、他人と一緒に居ようと思うのか
みんなに取って、他人と向き合ってみるキッカケになれば幸いです。
一番向き合いやすいのが、恋愛感情だと思いラブレターという形にしてみました。
友愛と恋愛は何が違うのでしょうか。他人を愛するってどういう感情なのでしょうか。
愛情を知る上で、ラブレターは最大のアウトプットなのかもしれない - 投資女子は孤独死が怖い
あとは、ブログを書かれた方のラブレターを書くまでとその先生からの評価が書かれています。
ブログを書かれた方は最高評価を受けたのですが、それに添えられた言葉がこれまた美しいこと美しいこと。
私の個人的な考えになりますが、ラブレターには
自分の為のラブレターと相手の為のラブレターの二種類があると思っています。
あなたの書いたラブレターは後者でしょう。
この手紙は相手に渡すことをお勧めします。
人が生きていく上での、永遠の敵は孤独です。
永遠に孤独と戦わなくてはいけません。
どんな形であれ、どんな期間であれ
愛されていたという事実は、終わることの無い戦いへの強い支援になることでしょう。
私はこれを読んで、本当に、言葉にならない感情を得ました。
私は推しが好きです。でも、推しを好きでいるのは私のためです。
私が私のために推しを愛しています。
これだけは誰から見ても当たり前の事実です。
私は私が2次元に恋をすること自体が逃げだと自覚しています。でも、逃げにしたくないから、できうる限り推しが実在するならばを考え、推しの気持ちを考え、推しを3次元に感じようと努力をしています。推しを現実にして、推しのために行動したくて。
でも、それは結局は全て、私のためなんです。どんなに価値観をこねくり回しても、推しのために推しを愛せません。
だからでしょうか、推しにどれだけ想いを持っても、あの条件ではラブレターを書けません。
「最初の実在しない」という言葉を取っ払っても、絶対に私は推しに、推しのためのラブレターを書けないんです。
実在しない人がどう思っているのかなんて、絶対にわかりません。それは断言できます。
私が推しにラブレターを書こうにも、それはただの私の妄想にしかなりません。私が作り上げた現実に存在しているかもしれない空想の人間は、私のために存在しているのですから。
でも、実は、これは、言い訳というか、現実から逃げた結果で。
現実と向き合います。
私はとある人が好きです。
その人が生きていてくれているだけで、世界に優しくなれるぐらいにその人が好きです。
その人に出会って、世界が変わりました。
その人に出会って、いろいろな価値観を知りました。理解できました。
その人のおかげで、一人で生きることができました。
その人のおかげで、愛とは何かを知りました。
その人が一時でも愛してくれた事実が、今、孤独という敵と戦うことに強い支援になっています。
だから、推しや声優様を追いかけていても孤独を感じますが、それでも、その人がいたから、孤独にまだ折れることなく人生を謳歌できています。
私はその人が好きです。大好きです。世界で一番あいしています。
だからこそ、推しのTOにも声優様のTOもなれないし、なる気はないし、推しや声優様で人生を満たされたいわけじゃないと自覚できているんですけど。
話がそれました。
この記事を読んで、無性にその人にラブレターを書きたくなったんです。「終わることの無い戦いへの強い支援になる」からとかじゃなくて、自分も”ラブレター”を書けるかなって気になって。
去年の記事に書いていた、粉々になったガラス細工のような感情に触れました。
逃げていた感情を向き合いました。見たくなかった過去を振り返りました。
書きながらもずっと涙が止まらないほど、その人のことが好きで、好きで、仕方がありませんでした。今も鮮明に、鮮烈に、ずっと好きです。ちょっと予定が噛み合わなくて(すり合わせしてないからですけど)、新規供給一切ないのに今でも好きなんですよね。恐ろしいことに。
その人が私を好いてくれていなくても、嫌いでも、いっそ無関心だったとしても、それでもやっぱり好きでした。
自分が好きでいること自体、すごく我儘だと思います。
相手にとって、迷惑である可能性があります。
一応、好きでいていいか確認は取ったんですけど、時間経過でダメになる可能性もあるしなぁ。
その人にとって、私が1番ではなくなったから今の私がいるのですが、私の中では今でもその人が1番なんです。
もし、私以外の人を1番に選んでも、たぶん、その人が幸せだったら、嫌だけど、すっごい苦しいけど、受け入れるぐらいに、その人が好きです。
生きているだけでいいし、笑ってくれるだけでいい。私のことを忘れてくれたっていい。
本当に、幸せでいてくれればそれ以上に何も望みません。願うならばはいっぱいあるけども。
無償の愛ってこんなのかなぁって大言壮語吐くぐらいには、本当に大好きです。
文章として書きあげたラブレターは、きっと重たくてじっとりしているけど、間違いなく、その人の幸せとこれからのご多幸を祈っています。そして、私がその人をすごくすごく好きで大好きで、あいしていることを示す手紙です。
相手を大事にした分、自分を大事にしていないただの自傷でもあるんですが。
なんとなく、もう元には戻れないんだろうなっていうのと、私は私に対して絶望しているので、きっとその人が死ぬまであいしつづけることはできないでしょう。
だから、私がその人と共に過ごして、今でも大事に抱えている、その人をあいしていたという事実がその人の終わることの無い戦いへの強い支援になることを信じて、私がいなくなる前に渡せたらいいなって思っています。
これぐらいの感情を声優様に向けられたら、ファンレターもラブレターになるのになぁなんて世迷い事を述べますが、きっと私が言わなくても、誰かが声優様に対して支援してくれると信じています。私はここまで声優様を想えません。私のために消費されていてほしい。だから、私以外の誰かが、想ってくれますように。
私が大好きな人たちが、どうか、愛されていたという事実を感じて、どうかこの長い道のりを順風満帆に過ごせることを祈っています。