私と涙と声優様と2018年
年明けまで48時間切りましたが、私は特に正月と言って張り切ることがありませんので何時も通りの日常を過ごしています。泡沫です。
みんな~! 推しのこと推しているかーい!!!
私は来たるフェスに向けて痛バ作らなきゃなぁと思っているのですが、実は自分が痛バを持つことに対して多少抵抗があるため*1未だに作るか悩んでいます。
じゃあ、作らなきゃいいんですけどね。でも、痛バを持って出歩くことを「広報活動」って公式がいうから。公式がそれを広報活動として称賛(・推奨)しているのならば、やらないって選択肢がなくなるんですよね。
もう1週間も余裕がないのに未だに何もしないでいます。どうしようかなぁ……。体力と気力と時間ないんだけど、体力削ってやるか否か……。
さて、そんな自分の悩みと、推しが毎年恒例の強化合宿に拉致監禁されそうで慄いていますが、それは置いといて今日も今日とてタイトルからお察し声優様のお話。
そしてそのまま、突然の自分語りのターン! ドロー!!
すんごいどうでもいい話なのと、見ていて「楽しい!」要素はないので続きからにして、小文字灰色にでもしておきます。すっとばすのがよい話! でも書く!!
私は泣くのが物凄く苦手です。理由は主に親が原因だと思っています。
そもそも親も泣くのが嫌いなタイプだったのが運の尽きです。
幼少期に親に怒られたり叱られたりするときに泣くことがあったんですが、そのたびに「泣いて解決すると思っているの?」と言われてきました。
これは私の中でとても大きな棘になっていて、私は泣くことができなくなりました。
泣くことができなくなった、というと少しだけ語弊があるのかもしれません。あくびすれば涙は出てくるし、目を保護するために水分は絶えず出ているわけですから、厳密にいうと泣けなくなったわけではありません。
ただ、声をあげて泣くこと、泣くことを他人に見せることができなくなりました。
怒られて反射で涙が出てくることはあります。でも、親の前でそうして涙を零す度に言われました。「泣いて何か解決すると思っているのか」と。そのたびに返しました。「何も解決するとは思っていない。反射で涙が出てくるだけ。泣いているように見えて、ごめんなさい」と。
怒られ終わったあと、怒られた内容が理不尽で、どうしても納得いかなくて、涙が止まらないこともありました。涙が止まらないだけではなく、横隔膜が痙攣が収まらないとき、というかしゃくりあげて泣くときは親から一番離れた部屋の隅で洋服に埋もれながら、しゃくりあげる声をできるだけ抑えて泣いたこともあります。家が大きくなかったため、そんな私に対して「いつまでも見せつけるように泣いて」という親の小言が聞こえてきたのはご愛敬です。なんなら私も親と同意見というか、怒られた程度で泣く自分が許せなくて、それでも泣く自体に陥った感情も全部全部が嫌でした。
本当に、泣く自分が嫌でした。怒られた程度で泣きたくもないのに泣いている自分が許せませんでした。泣けばどうにかなるという世界も、涙や鼻水やしゃくりを抑えられない自分も、生理現象を起こす人間の身体も、全部全部大嫌いでした。
そんな学生時代だったのですが、有難いことに親元から離れる機会に恵まれました。そうして一人暮らしをしているときに、他人の助力のもと「自分がおかしいこと」、「親がおかしいこと」に気づきました。そして、泣くのは悪くないことだと教えてもらいました。泣けないけど、泣いているこの気持ちは嘘ではなく、表に出していいものだと初めて知りました。
同時に、自分が「泣けない」ことに気づきました。悲しんでいて、苦しんでいて、泣き出すようなときに笑う自分に気づいたんです。ネジが外れたように、さもそれが面白いかのように笑っていました。壊れたおもちゃのように笑っていました。
そこから周りの力と時間の力のおかげで、自分も泣いてもいいということを知り、今ではつらいときに多少泣けるようになりました。
もう普通の人間のように泣くことができると思っていました。
でも、やっぱり、棘は深く残っていたようで。
この間、本当に自分と周りの力ではどうしようもないことで無理になって泣きだして、「もうこれは死ぬかしかない」以外の思考が消えたとき、死にたくなくて友人に助けを求めました。話を聞いてもらっている間は相手のことを考えるから自殺企図しないと思って。運のいいことに友人は私の話を聞いてくれたんですが、友人に状況説明というか愚痴というか感情を他人に吐露しているうちに、数分足らずで泣き止んだんですよね。泣くほどつらい状況は一切変わっていないのに、泣いても無意味だから。泣いている相手の面倒見させるのは忍びないからという理由だけで泣けなくなりました。まあ、死ぬ気もなくなったのでそれはそれでいいんですけど。
そんな私を察してからか友人は言いました。「泣きたいときは泣いていいんだよ」と。
でも、私は泣くことが嫌いです。泣いて解決することもないし、体力使うし、意思疎通も困難になる。だから、泣くのが大嫌いです。
涙を流すことでストレス発散になるとしても、泣いていること自体がストレスで、ただただ生きていることが気持ち悪いのです。
今でも思っていた以上に自分が上手に泣けないことを自覚したのがつい最近のことです。
上記内容を要約すると私は泣くのが下手くそ!ってだけです。
くっそ長い前置きでしたが、ここからが本番。
みなさんは推し事中、どういうときに泣きますか?
推し事中泣かない? 仰る通りだ!
まあ、私も前述の通り基本的には泣きません。しかも、声優様のイベントってライブとかラジオ公録とかアニメイベントとかが多いので、泣くような機会もないんですけど。
そのはずなんですが、私はライブの1曲目か2曲目かで泣きました。
ただ会いたくて、好きで好きでしょうがない人が、目の前で一生懸命にしている姿を見たとき、「あぁ、私はこの人が好きなんだ」以外の感情が出てこなくて、溢れて、気づいたら涙がこぼれていました。声を出して泣いたわけではないんですけど、もう、なんか好き以外言えないくらいに大好きで。もう本当になんで泣くのかも分からなくて、あんなに嫌いで大っ嫌いで推してすらいないのに、でも、会って、「今まで死なずに生きていて、こうしてお目見えできて/拝見できてよかった」って思ったんです。
涙を誘うような曲じゃないのに、生きている姿を、一生懸命な姿を見ることができたことが、ただ嬉しかった。会いたかった。会えてうれしかった。今以上に何も望んでなかった。
出会い頭で「生きて、こうして出会えてよかった」と泣いたのは稀にしかありません。まだ片手で数えられる限りしか経験したことないですが、多分これからも経験させてくれるのは声優様だけだと思います。
推しのライブでは出会った瞬間に絶望に打ちひしがれたけど、全くの同一人物なのに声優様のライブでは出会った瞬間に好きになるのってあまりにも皮肉な何かだと思うんですけどね。
アニメイベントとかではそこまで感極まらないのですが、ライブは本当にダメです。
多分、声優様が全力投球している姿に弱いんだと思います。
俗にいうリーライでも泣きはしなかったんですが、ずっと胸がいっぱいで、演じたり歌ったりすることに本気で向かっている姿を見ると、ただ好き以外の感情が消えます。朗読劇とかあればもう少しこの感情が明確になりそうな気がするんだけどなぁ……。なんでないんだろうな、朗読劇。
泣けない私が声優様を見ると泣くというのがまずひとつ。
さて、少し話は変わりますが、
声優様は今年、「涙」をテーマに自分発案のブランド商品を発売されました。
それに籠った思いは要約すると「ファンから”泣いた”とか”涙した”と言われてから、”涙”というものに興味を抱いていたから、それをモチーフにした」って感じなんですけど、すごく胸が詰まりました。
その動画載っけるので気が向いたら見てください。2つあります。
※なお、完全受注生産なため、現状は購入はできません。
泣けない私に涙をくれる人が自分の好きな人ってどんな確率なんでしょう?
泣くのが苦手な私が、出会ってあまりの感情で泣いてしまう相手が涙をモチーフにものを作って発売してくれた、それはなんて奇跡なんでしょうか?
今も生きるのめちゃくちゃしんどいし、泣きたくなる時もありますが、上手に泣けないし、誰かに泣きつくことも頼ることも甘えることもできません。仲が良い人にも、親類縁者にも、どうでもいい人にも助けを求めることが物凄く苦手です。
でも、こんな私でも、声優様発案のブランド商品を見ていると私も泣いた気持ちになれるんです。
パーカーの袖を目元に当てたり、ネックレスを握っていると、泣けない私の代わりにこうして泣いてくれるかのように感じるんです。
何を言っているのかわからないとは思いますが、声優様は私に涙をくれました。
それが、なんか自慢したいぐらい嬉しくて、嬉しかったんです。
なんででしょうね。
本当に好きじゃないのに大好きで、大好きだから大好きなんです。本当に出会えてよかった。推しがくれた縁に感謝しています。
2018年、声優様にとって、すっごく色々あった年でした。
声優様自身も言っていたし、私も声優様の多彩なお仕事追っかけていて、すごいなっていっぱい思う年でした。これが声優さんのスタンダードかなって思ったけど、少なくとも情報収集中に見かける他の声優さんとはやっていること違いすぎて、多分声優様のほうがイレギュラーなんでしょうね。
毎度イベントの度に切れたり怒ったり負の感情も少なくなかったけど、総括すると楽しいと思う年でした。
私としても2018年は色々とあった年で、声優様関連を除いても自分でも色々とやった年になりました。
生きることを辞めたいと何度も何度も思いますが、後悔しないレベルで生きることをしていないので今を精一杯生きていきます。
声優様のおかげで新しい景色をたくさん見れたと思います。推しには少し申し訳ないけど、推しのことがジャンル的に区切りがついている今、声優様のイベントを頼みの綱にしている自覚もあります。少なくとも来年の誕生日までは死んではいけない予定できたしね。ありがたやありがたや。
そういう自分都合を差し引いても、多分ここ数年で一番声優様にとって華やかな年だったと思います。そんな大事なターニングポイントでこうしてファンになれたのは幸運なことだと思います。
本気で好きになるのはちょっと遅かったけど、今年、あなたに出会えて本当に良かった。
あなたを追いかけることを楽しめて本当に良かった。
だから、来年も、そしてその次の年も、後悔なくあなたの魅せる景色をこの位置から見ることを許してください。
今年一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
*1:痛バに似合うコーディネートが自分の中には存在しない