生きることは好きを形にすること

好きなものとか考えていることを形に残していく日記らしきもの。レビューも稀にする。

私にとっての茶の間さん

※同拒についてもちょっと語るよ!


なんとなく、文章を書いていたいこの気持ち。
今日も今日とて新宿に行きたいのに行かないので、短くてもいいので文章生産しています。なんというか、本当に、私はどうしてここまできてしまったんだろう。嫌じゃないけど。

 

そんな気持ちでオタクよくある単語「同担拒否」について調べていたら、あまりにも過激すぎたので引用を自粛するレベルの過激派な人を見つけて「あ、好き」ってなりました。

その人のブログ見て考えたことですが、同担拒否でふんわりと自衛のために拒絶する人も好きですが、私多分同担絶対〇すマンも大好きです。ただし他担に限る。

いや別に同担絶対〇すマンが同担でも構わないけど、死ぬまで殴り合っても何もならないんですよね。まじで〇すとなると違法になるし。ドラミングしあう? 私は覚悟して挑むけど、多分同担〇すマンって十中八九〇される覚悟はないイメージがあります。

殴られるのもマウント取られるのも怖いから先にマウント取って殴っておこう、みたいな。だから殴り返されるとか考えてないイメージ。殴られている人が黙って殴られているのは野蛮な同族に見られたくないから、が多いと思うんですけどね。どうなんでしょう。私は野蛮なので笑顔で戦闘ふっかけます。目線が合ったらいざ勝負!

とはいえ、私は不特定多数の同担に対する愚痴を言うのなら見えるところで書いているので、それで傷ついたというのなら謝ります。でも、「道をふさぐな」とか「道路でサイリウムを振るな」とか「パンピーさまの通行の邪魔するな」とかで傷ついていたらやっていることになりません……? え、人間としてマナーって単語知ってる? あ、今ゴリラの話していましたね、ごめんなさい。

でも、私の中ではそういう愚痴を鍵垢で言うのも違うと思っています。

鍵で同担腐そうが、表で同担腐そうが何にもなりません。どうせ人に指摘されたところで変わるか変わらないかはその人自身の選択だし、害意を持った時点で綺麗な人間ではない。「鍵垢だからばれないし、何言っても問題ない」なんてことはないです。そして、インターネットにいる以上、鍵程度で隠れていると思い込んでいるほうが怖いです。隠れていると思い込んでいる人や、自分は醜悪ではないと思っている人のほうが多いですけどね。まあ、オタクに限らないというか愚痴垢裏垢なんてみんなそんなもんですけど。人生いっぱいの鍵垢裏垢スレ見てきたけど、隠れていると思っている人ほど言葉が強い。

もうね、人間みな醜悪だから諦めて露悪に行きましょうよ~(強要ではない)

ということで、同担〇すマンはそういう自分が綺麗じゃないことを割り切って相手を攻撃してくるので割と好きです。それを全世界に公言しているあたり潔い。

あ、無論愚痴を言うことやガス抜きが悪いわけではありません。「自分が悪い」と思いながらも誰かに「しね!」って思って自分を慰めることもあって当然だと思います。勿論、相手が悪くて相手に「しね!」って思って、「直接言ったら悪いこと」だと自覚して隠れていうのも悪くないです。

ただ、私はやっぱり「他人を傷つけたい」と思った自分はちゃんと自覚したほうがいいと思います。みんな無意識に相手が傷つく言葉を書きますが、どんな綺麗な言葉でオブラートに包もうが、万人が「傷つける言葉ではない」と判断されようが、自分が相手に抱いた嫌悪感には自覚したほうがいいです。だって、それは否定しようがない自分自身の感情だから。自分の感情に嘘をつくことほど疲れることはないから。

できればなんで嫌いだと思ったかがわかると感情整理がつきやすいと思います。感情整理がつくと「嫌い」って感情消化されて、「ああいう場所は嫌いだけど、お相子な部分もあるし総括すると友人として好き」って付き合いができるのでお勧めです。なお、どうしようもならないのが生理的嫌悪です。関われない~。

まあ、私が同担に嫌だと思っている分ぐらいは相手からも思われていると思うので刺しに来ないかなー。

あと、惚気はしないなぁ……。座席はたまに良席だとうわああああああああああああってなって「良席だやべえ」と書いちゃうときもありますが、身バレ怖すぎて鍵のないところで詳細は言えませんね。席晒している人いたら私だったら顔拝みたくなるし。そもそもフォロワー(FF外含む)も信用できる人だとは限りませんよね。仲よさげに近づいてきても実は相手は私のこと嫌いだった!とかネットに限らずよくある話ですし、悪人は大体親切そうな顔で近づいてくるものだと思っています。殴るぞって言いながら殴りに来る人もいますけど。

「しらないひとにはついていかない!」精神でいます。友達作りが面倒くさいだけだって!? そんなばかなー!

 

 

 

さて、本日のメイン話題は茶の間さん。

それこそ界隈によって厳密には異なるかと思いますが、2次元界隈在住、声オタに半身突っ込んでいる身として記載していきますので、何卒ご了承くださいませ。

 

皆さんにとって「茶の間」とはどういう方を指しますか?

 

私にとっては未来の同担です。同担は言い過ぎかな、同界隈の仲間ですね。

その未来は明日のイベントかもしれないし、三年後のイベントかもしれない。今どこで何をしているのかは他人なのでさっぱりわかりませんが、コンテンツなり演者さんなりを好きだと思っている以上未来の同ジャンルの仲間です。

 

でも、別に仲間だと言って仲良くする気は一切ありません。
我々は同じ神輿を担ぐ仲間であり、推しの存在する世界を運営する仕事仲間です。
一人がいなくなっても誰も困らないし、その人の代わりはすぐ見つかるけど、一気にいなくなると困るし、神輿や会社が壊れたら露頭に迷ってしまうのまで同じな仲間です。

みんなが何をしているかといえば、大事な会社が崩壊しないように色々なことをしています。

人によっては現場に通いますし、人によっては円盤を見て感想を書きますし、人によってはファンレターを書くかもしれない。RTやいいねで周りに告知したり、インターネット以外の場所で良さをアピールしているのかもしれない。
そのどれもがやらなくてもいいことだけど、やっているとより良くなることです。

 

だから、私は茶の間さんのことは嫌いじゃないです。

私は生きている人間、みんなが幸せであればいいと思っているし、生きているだけで偉いと思っています。だから、その人がその人なりに考えて、その人らしく、楽しく推し事できていれば私にとってはそれでいいのです。

 

とはいえ、私は多分他人から見ると割とがっつりイベント行っているガチ勢なので(当人基準、分不相応なほど参加しているけどまだゆるおた)、たまにはてブロの方からTwitterで「ゆるオタですが~」とか「茶の間ですが~」と挨拶いただきます。

 

推しが好きならそれだけで尊い!!!!!!!!!!!!!!!!

 

そこに古参も新参もなければ、ガチ勢もゆるオタも茶の間もない。
あるのは金額と時間の差だけだと思います。

 

私自身の話になると正直少なくないお金と時間をかけてはいますが、じゃあ、私がかけているこの時間とお金をゆるオタさんや茶の間さんたちは何にかけているかというと、将来だったり友人や家族だったり自分にかけているのです。え、普通に人間として正しい行動では???

生存費ギリギリまで趣味にお金をかけるのはバカのやることです。
いえーい、バカ仲間見てる~~~~^^^^^^^
煽りましたが、はい、馬鹿は私です。他人を馬鹿にすることなんてできないですが、自分を馬鹿にしているだけなので許してください。そして、もし一緒に被弾した人は私に憤ってもいいですけど、自分自身に謝りましょう? もっと自分を大事にしてあげてください。あなたが生きているからこそ、好きな人を追いかけられるんです。身体が資本です。自分自身を大事にしてあげてください。私にはちょっと、もうできないことなので、どうかできなくなる前に。

 

そして、ここまで茶の間さんのことも大好きだってしていますが、私は同じ神輿を担ぎ、同じ会社を運営する仲間であっても、嫌いな奴がいます。でも、大体の人も嫌っていることでしょう。

簡潔にいうと下記タイプです。
・無知
・自己中心
・脳無し ※能無しではない

何故、無断転載が嫌われるか考えたことはありますか?
何故、著作権・肖像権があるのでしょうか?
どうして「やったらダメ」と言われることがあるのか考えたことがありますか?
自分の支払ったお金がどのようにして好きなモノに還元されるか考えますか?
マナーやお願いが再三言われるのは何故でしょうか?
周りがやっていたとしても、何故やったらダメと言われるのでしょうか?

言い方を変えて、嫌いな人たちに言いたいことや伝えたいことはたくさんあります。
でも、どんなに言っても相手に響かない・伝わらないことばかりです。だって、「考えない」から。「知ろうとしない」から。

自分の世界が正しくて、自分の見えている景色が正しいと誰もが思っていたことでしょう。

でも、世界は広いしどんなに知ろうとしても、世の中には知らない事ばかりあります。
こっちが正しいと思っていたことが、場所や環境や時代によっては正しくなかったり、99%正解だったとしても1%の場合に出会ってしまったり、世の中はクソゲーなのです。*1

人生において正しい答えも、正しい行動も、正しい考えもありません。
だからこそ、自分の行動に責任を持たない人、自分の意見を持たない人、考えようとしない人、知ろうとしない人、一人だけで生きているような人、私はそういう人たちが大っ嫌いです。でも、考えなかった人でも今から考えるようになれば嫌いだと否定したことを謝罪します。どうかあなたにとっていい人生が歩めますように。

そして、本当に嫌なことに世の中にはそういう人たちだらけです。
そういう人たちがオタクだと、言い訳のごとく「私、茶の間だから~」とか、「行きたいけど無理~><」とか言っているから腹が立つ。

茶の間だからなんだ。
行けない理由があるのならそれを頑張れ。

推し事なんて所詮趣味だ。

生きる事を優先できる自分を誇れ。自分の選択に言い訳をするな。

推し事に対して恥じない自分でいることができないのなら、さっさと手放してしまえばいいのにと思います。誰かに対して免罪符がなければできないことなんてやらなきゃいいのに。

 

推しや声優様の同担に関して言うともっと許容範囲が狭まっちゃいますが、基本的には「自分で考えて行動する人」であれば誰であっても拒絶はしません。思想なき同調は嫌いですけど。でも、その人が考えた上で同調しているのか、考えずに同調しているのかってわかりにくいんですよねえ。みんな自分の考えをガンガン書いていけばいいのに、と思います。
まあ、人それぞれの自由なのでどっちでもいいんですけど!

 無知でいたくはないけど、本当に「今まで考えていなかったこと」って世の中にはいっぱいあるんだよなぁ。何も感じないままでいたくないし、受け入れられないものの生存を拒絶したくはないし、隣人さんとして話し相手になりたいとずっとずっと思っています。

例えるのなら「私は虫料理とか食べられないし受け入れられないけど、虫料理が好きな人も友人になれるのならなりたいし、虫料理の話は聞きたい」とかそういう話。実は昨日の2次元コンテンツの舞台化もそういう話。

受け入れられないけど、話は聞きたいし、話をしたい以上相手のことを知りたいんです。別に誰に教えてもらわなくてもいいけど、教えてくれるのならやっぱり嬉しい。そして間違っていたとしても私は私の考えを書いていたい。

 

 


……って書いていたら、気づきました。
ああ、私生きる事を優先できて偉いなぁ。よく選べたなぁ。私、偉い。すごい。よくやったじゃん。
生存を優先して頑張っているからこそ、観劇できるあと少しの機会をすごく大事にして噛み締めよう。一秒一瞬たりともあの人の演技を取りこぼさないように。大好きでいれるように。
現職も転職も趣味も生存も頑張ってる自分はすごいんだよ。
えらいね。頑張って生きてね。お願いだから、あともうしばらくは生存を切り捨てないでね。

*1:こんな世界に産まれてしまった以上しょうがない。でも、割とマイナー意見でも言いやすくなったと思うから、マシだと思って生きていきましょう。