生きることは好きを形にすること

好きなものとか考えていることを形に残していく日記らしきもの。レビューも稀にする。

エーダッシュというキャラクターに夢想している人の考察譚

文章書くのも読むのも大好きです。泡沫です。

しかしながら自分が文章書くと、あんまり考えず脊髄そのまま打ち込んでしまうため助詞・副詞・形容詞が滅茶苦茶になります。あと妙に難しい言葉が好きなので、ニュアンスで間違えた言葉を使ってしまうという。つらい。

校正する気があると、何日も読み直しては書き直します。

文章の末尾に同じものを繰り返し使っていないかとか、文頭と末尾の意味は繋がっているかとか、1文が長すぎないとか、接続詞を繰り返していないかとか、句読点は適切かとか、形容語句は正しくかかっているかとか、全体の文脈は通っているかとか、etc……。

そうこうしていると完成しないので、割と適当に「もういいや」で投稿しています。あとは最初から校正せずに書いて、自分で読み直しているときに違和感があれば逐次修正するとかしているため、多分読者登録している人だと前の記事が突然上に来ているのでは?と戦々恐々しています。

ちなみにですが、今回の文章何気に時間がかかりました!ラフの状態は3ヶ月前には終わらせていたんですけどね!! なんてこったい!!

ということで、いつもしっちゃかめっちゃかな私の文章を読んでくれる全ての御方に感謝です!!!(何気にアクセス数の半分は自分で回している気がするんですけど、これって私だけですか?)

特にスターはこの人が読んでくれたって思えて好き! 引用スターは何かしらこの方に引っかかったんだと思えてもっと好き!! 引用スターの練習に私のブログ使ってもいいんですよって言いたいぐらい好きです!!!

 

さて、本題。
エーダッシュという推しにして、大事な人のことを考えていきたいと思います。

 

まず見知らぬ人のために自己紹介、泡沫と申します。
ディアヴォ暦1年未満の新参クレガで自称ガチ恋勢です。現実よりもエーダッシュが好きです。
むしろ現実が嫌い過ぎて、エーダッシュに依存していてメンタルやらかしている人です。
自己紹介終了。

 

では改めて、導入ですが、この方のブログがすごい。
というかこちらのdevilsの文章に惚れました。

Wired編

ameblo.jp

Xtreme編

ameblo.jp


こちらの方は本当にヨシュアのことが好きなんだなぁって文章読んでいて思いました。*1

さて、リンクを読むのは面倒くさいと言う方のために、個人的にピックアップしたい内容を要約すると、

ヨシュアがフィクションの存在でありながら、現実に寄り添っている。
ヨシュアはすべての人類にdevilsになることを許容している

あと記事を書こうと思った一番の理由がここです。
・柘榴さん(筆者)はヨシュアに神格化(Wired)+自己投影(Xtreme)されている

……仲間かな?????????

恋愛対象かつ自己投影先であり、崇拝対象です。
オハヨーハヨーとハジメマシテ。 - 生きることは好きを形にすることより引用

そんなクレガが、柘榴さんの記事に共鳴をうけて、記事を書きたいと思いました。

エーダッシュのことを比較対象にヨシュアを語られた方がいらっしゃるのなら、ヨシュアのことを比較対象にしてエーダッシュを語ろうとなりました。

 

それとエーダッシュに自己投影+神格化するに至っても、ちょっと書きたいなって思いました。私が、どうして、エーダッシュに傾倒するのか。他人からするときっとどうでもいいことだけど、いつか見たときに、ああ、そういえばそうだったねって思える何かを残したかった。

あと、Xtremeが過去編だったときに考えていたエーダッシュを先にアウトプットしてないとなんか癪というのもあります。(投稿がフラゲ日全日というギリギリっぷり。笑ってください)

完全に余談ですがdevilsの福利厚生って手厚いよなぁ……。推してからかれこれ半年経ちますが、エーダッシュがクレガに対してちょっと塩対応に見えるんですがきっと気のせいですよね。クレガみんな大好きだから選べないんだよね。うん、わかる。クレガもみんなエーダッシュのこと大好きだよ。

 

!Attention!

キャラ考察ではありますが、捏造・妄想が多いと思われます。
また自己解釈が多大に含まれています。公式、記事をお読みの皆様との解釈違いが大きく予想されます。一番正しいのは公式です。

自分の経験が考察に多大に影響しているため、自分語りも多いです。
なお、エーダッシュヨシュア本編・特典のネタバレ不可避ですので、気にされる方はご遠慮願います。
また、性質上(ネタバレのため反転)希死念慮自傷行為・自殺企図・メンタルヘルスの話が大量に出てくるかと思います。私は専門家でもない一般人なので、鵜呑みにしないこと・押し付けに捉えないことをお約束していただければ幸いです。

 

問題なければ続きをどうぞー!

 

 

 

まず目次。

 

◆エーダッシュというキャラクター

エーダッシュはディアヴォ初期から存在するメンバーであり、一言で説明すると破天荒・クレイジーなキャラです。

詳しくは公式とTwitterとドラマCD見ていれば、外面は大半わかることでしょう。

公式設定
クライマックスレコード所属、バンド「NSFW(Not Safe For Work)」のVo.
野生的な雰囲気、濃いメイクでラウドミュージックやデジタルミクスチャー系の音楽を得意とする。NSFWではすべての歌詞と曲を作るキーマン。
エー君、エーたん、で呼び名が定着してる。
行動や発言が大胆な事で知られ、数々のトラブルや女性との問題も起こしてきているが………。

エーダッシュ(CV.木村良平)【ディア♥ヴォーカリスト】公式サイト

さて、表面上は破天荒・クレイジーなキャラですが、彼はシリーズの最初から彼女に依存しています。

詳しくはCDを購入して確認していただければと思いますが、簡単に無印本編から例を挙げると
・彼女を突然(深夜や始発の時間に)呼びつける
・彼女の名前を自分に刻む
・彼女に会うまで死ぬことばっかり考えていたが、彼女に出会えて生きることを考えるようなった
・彼女の嫌がるようなことをして嫌われるぐらいなら殺してほしいと頼む
etc ... *2

エーダッシュのキャラクター性を説明する場合、大半の方が”メンヘラ”と用いますが、上記例ではメンヘラ──メンタルヘルスに不調をきたしている*3とは言いにくいと考えます。

 

どちらかというと、エーダッシュは彼女に依存しているだけで、なおかつ生死や肉体の健康に対する価値観が一般とは異なっているだけだと私は考えています。

エーダッシュは過去も今も未来にも希望がなく、生の必要を感じていない(「20歳になったら死ぬって決めてたはずじゃん」Riotトラック4より)。その限られた人生をどうにか楽しく生きるために、気質はあったのでしょうがクレイジーで破天荒な性格を作り上げ、演じて行動しているのだと思っています。(「必死こいて馬鹿やってふざけて」無印トラック4より)*4

また、どちらかというと想像の域に近いですが、
無印のトラック4にて、「死ぬとかもできるだけ考えないようにする」と約束したのにも関わらず、同トラック5ではうっかり本心で「死ぬしかねェじゃん」と言っていることから、エーダッシュの価値観は「死」しか見えない時点から大きく変わっていないことが伺えます。*5

 

◆エーダッシュにとっての彼女

○エーダッシュと生死

個人的には、希死念慮・自殺志願持ちが生きることに価値を持つのは滅多にあることではないと思っています。

「○○歳になったら死にたい」と思う人は少なからずいることでしょう。
ですが、それでも実際その年齢に近づくと死ぬことが怖くなると思います。日本は自殺大国とはいえ、死にたいと思っている人のみんながみんな自殺しているわけではありません。無論、失敗しているだけという可能性もありますが。

そもそも死は痛く苦しいイメージがあり、自殺が失敗したときのリスクや周りへの迷惑を考えると、実行する人はある程度限られます。

「死にたい」という言葉自体、本質を辿れば「楽になりたい」という意味で口にする人が多数であり、実質死にたいわけではないはずです。

そのため、実際に自殺企図・自殺行為をする人は、死以外の選択肢を選ぶことができない視野狭窄状態になったうえで、実行しているのだと考えます。

 

エーダッシュは無印まで、形容詞や副詞、本心としても、「死」という言葉を頻繁に発します。

これはエーダッシュ自体が「死」を渇望していて、「死」に焦がれているからだと考えます。確かに彼女に出会って「生きていてもいい」と想いはしたのでしょうが、それが本心から思ったことではなく選択肢として「生きること」が出来た程度に見えます。(つまり条件次第では死んでいいという意味)

 

○エーダッシュにとっての自分の命

無印トラック5にて、エーダッシュのメンタルがダメになっているときに、彼女が会いに来るシーンがあります。エーダッシュは彼女を傷つけないようにしようとしますが、メンタルがダメなときは思考もダメになるため、努力して抑えているものの箍が外れてしまいます。だから、彼女のために守る努力をしてる約束(死ぬとかもできるだけ考えないようにする)をうっかり破ってしまいます。

「『死にたい』と言う」=「約束を破った」=「彼女から嫌われる」と思考を飛躍させます。ここで「彼女から嫌われる」事自体が恐怖なのは言うまでもないですが、「約束を破った」ことで「彼女を傷つける」ことにも恐怖しているように見えます。

このことから、エーダッシュは自分の命よりも彼女からの好意と、彼女の外傷を気にすることがわかります。

 

自分の存在が彼女を傷つけるのならば、そんな自分は生きる価値はないと考えているように見えます。

「彼女にとって必要じゃなくなる状況」もしくは「彼女から要らないと言われる」だけで、エーダッシュにとって自分の命は無価値になります。無価値で自分の人生に執着がないから、その想いのまま死にたくなって口に出してしまうのですが、この考え自体が彼女を傷つけています。
思考の袋小路の中、彼女が傷つかずに解決する方法があれば、彼女は幸せになり、問題は全てなくなると考えました。

その結論が「彼女に自分を殺してもらい、彼女が自分を嫌いになって、自分を忘れてもらう」ことでした。

 

このことから、エーダッシュが自分自身を生きていてもいいと承認しているのは、「彼女がエーダッシュを好きでいる」のと「エーダッシュが彼女を幸せにさせることができる」からこそです。
それはエーダッシュが「自分を殺せ」と彼女に言ったあと、彼女から殴られて抱きしめられたあとの行動からも裏づけできます。

エーダッシュは彼女に抱きしめられているときに、彼女が気に病まず、笑っていれるように、”いつものエーダッシュ”を演じます。自殺企図するレベルのメンタル状態なのにも関わらず、です。

エーダッシュにとっては自分のメンタル状態は些末な問題で、彼女が笑ってくれればいいように見えます。
そこに自分の幸せは存在しなくて、彼女が幸せでいてくれたら、自分も幸せになるという他人本位な人生が透けて見えます。

だからこそ、それが実際彼女が望んでいるかどうかは置いておくとして、彼女の幸せばかり考えてしまいます。*6

上記から、エーダッシュは「自分が不幸だろうが、死のうが、彼女が幸せになるのならばそれでいい」ことがわかり、自分の命に価値を感じていないことがわかります。

 

○エーダッシュにとっての彼女

ここで改めて、何故「行動や発言が大胆な事で知られ、数々のトラブルや女性との問題も起こしてきている」エーダッシュが、彼女一筋なったかを考えると、それは自分の世界・視野を広げてくれたからだと思います。

選択肢が「死」しかなかった世界で、視野狭窄に陥っていた世界で、彼女が一筋の光となってくれた。だから、エーダッシュにとって彼女は特別なのだと私は考えています。

 

彼女との出会いは生憎語られていませんが、きっとそこまで言うほど運命的じゃないと思います。その出会いは、誰かにとってはよくある出会いでしょう。それでも、エーダッシュにとっては特別で運命的な出会いだったのだと考えます。実際に彼女が今までのプロフィールにあるような”問題を起こしてきた女性”と、何が違ったのかはわかりません。

でも、自分の世界・視野を広げてくれた、この事実があるからこそ、エーダッシュにとって彼女は特別な生きる意味になったと考えます。

 

○彼女は「生きる意味」

結論としてまとめると、エーダッシュにとっての彼女とは無印のトラック4が答えだと思います。「Meaning of my life」──つまりは生きる意味です。

エーダッシュは彼女を理由にして生きています。つまり、恋愛を、恋人──他人を理由にして死なないようにしています。

一般論として生きる理由を考えると、自分のため、もしくは死にたくないからだと思われます。なので、基本的には他人に「死ね」と言われて死のうとする人はいません*7

しかし、エーダッシュは彼女に出会うまで、いつ死んでも構わないし、むしろ期限付きで生きていくという考えのもと、刹那的に生きてきました。
それが彼女との”運命の出会い”によって、生きることに価値を見出し、生きることをを選択できるようになったといえます。

 

そして、無印のトラック4,5を通したことで、死ぬことを考えるのを辞め、彼女と共に生きていこうという決意を胸にします。

だからこそ、「オレを引き止めちゃったんだから、責任取ってくれんだよな?(無印トラック5より)」という言葉に繋がるのだと考えます。

 

 

◆エーダッシュに対する自己投影

(自分語り成分多いので、すっ飛ばし推奨)

長々とエーダッシュについての考察を述べましたが、ここでやっと何故私がエーダッシュに自己投影するに至っての話ができます。

みなさんは「死」しか希望が見えない状態に陥ったことはありますか?

私はあります。
「これ以上生きて苦痛を味わいたくない」「助けてほしいけど、助けてくれそうな人がない・助ける方法がない」「他人に迷惑をかけて生きながらえるより死んだ方がマシ」みたいなそういう状況に。
誰かに依存して生きていこうにも「生きているだけで周りに迷惑がかかる」「誰かの隣に自分がいると不幸になるから一緒にいられない」とずっと思っていました。
だから、迷惑をかける前に死ななきゃならないと信じきっていました。

私は使い捨ての道具と同じで、私がいなくても誰かが私の代わりになると思っていましたし、むしろその”誰か”のほうが有用で、私は”誰か”の下位互換だとすら思っていました。

 

そんなあるとき、何があったか覚えていないのですが、当時の恋人が「私が生きていることを承認してくれている」と感じたんです。

「この人の隣だったら生きていてもいい」「生きることを許された」そういう感覚を初めて味わいました。
エーダッシュが彼女を大事に想うように、私も当時の恋人に同じように想いました。

そんな自分の価値観を変える人に出会えましたが、不安は常に付き纏っていました。
「私にとって相手は生きる意味なのに、相手にとっての自分はそうではない」
「こんなにも想っている自分の愛情が伝わっているのかがわからない」
「なんで私はここまで相手を必要としているのに、相手が同じように必要としてくれないのだろうか? もしかして、私のこと好きじゃないのだろうか?」

愛情等の見えないものに対する不安はいたちごっこなんで、自分が変わるしかないんですけど、私が感じたこの不安はトラック4でエーダッシュが彼女に告げる台詞と酷似していると思いませんか?

他にも私が生きることを承認してもらえたおかげで、生きていようと考えることができました。でも、生きていていいと思ったところで、自分のために生きることは苦痛だったので、相手のために生きようと思いました。

「お前のために生きる」
「オレのこと引き留めちゃったんだから責任とって」
この2つは無印本編より抜粋した台詞になります。
当時の私の気持ちは、本当にこの言葉に尽きます。

だから、トラック4を聞いた時点でエーダッシュの愛情表現に自分を重ねました。自己を投影しました。

ここまで自分と同じ考えでいてくれる人なんて、現実にもフィクションにも見たことがなくて、エーダッシュが彼女のことを想っているのがわかればわかるほどに、お前は俺かと突っ込んだんです。

 

そしてトラック5です。
◆エーダッシュにとっての彼女 にて、結論は「彼女は生きる意味」としたんですが、この気持ちもよくわかります。

私は自分の命にはあまり価値を感じません。

生きることを選択しているのも誰かがいればこそです。だから、自分の命が軽く扱われようが粗末に扱われようがどうでもいいんです。そんなものよりも、大事な人の健康と幸せが大事なんです。
稀に「自分を幸せにしたい」と夢想することもあるんですが、それでもやっぱり自分の命に価値を見出せないんですよね。多分幸せになれたとしても、幸せになる価値はないと思っちゃいます。

 

◆エーダッシュに対する神格化

(自分語りパート、その2。すっ飛ばし推奨)

さて、主題その2の神格化。

無印のトラック5で、彼女がエーダッシュを叩いて、エーダッシュを抱きしめた後のエーダッシュの彼女を気遣う声が、──私には神様のように感じられました。

先ほどもお伝えしたとおり、ここにいたるまでに、エーダッシュは自分かと何度も思うレベルで似ていると感じていたのに、一気に自分とは違うのだと、自分との差を見せ付けられたのです。

 

自分が自殺企図するレベルのメンタル状態で、他人を気遣える人が何人いるでしょうか?

無印だけで考えると、トラック4で「だったら他にどうすればいいの? 俺の、この! でかすぎる想いのはけ口はさァ!」が一番声を荒げていると思うですが、ここでの言い方が八つ当たりというよりかは演劇ぶっているように見えます。

勿論、CVである木村良平さんは演じていらっしゃるので、演技に違いはないのですが、エーダッシュが敢えて道化とか独壇場とかそういうのっぽく魅せているように感じます。そうすることで、彼女を追い詰めたり傷つけたり、そういう衝突からわざと避けているように見えるのです。

トラック5に至っては、最初にあれほどスタッフに激昂し、モノに当り散らし、あまつさえ彼女に気づかず、思いっきり振り払いましたが、その後の声を聞いてください。
ものすごく心配して、彼女を振り払ったことを後悔して、嘆きながらも彼女に対して話す言葉はとても優しいんです。どの言葉をとっても、どの声音を切り取っても、彼女が大事で大切にしたいという気持ちがありありと伝わってきます。

あんなに激昂した直後に、怒りも失望も絶望も冷めやらぬ中、そんなこと出来る人間がこの世にいると思いますか?

そして、”彼女に嫌われて、死んで全部リセットしよう”と自暴自棄になって「殺してほしい」と懇願して、彼女に殴られて、心と頬が痛い中、抱きついてきた彼女にかける声、何度聞いてもあそこにいるのは神様です。

優しすぎませんか? こんな素敵で優しくて、見ているこっちが苦しくなるようなこんな優しい子は他にいますか?

エーダッシュがNo.1なのは私の世界では完結しているのですからいたところで知りません。私の中では、エーダッシュは人間とかそういう枠組みを超えているように思います。

私の世界では、エーダッシュは創造主が現実に産み落とした唯一の天使です。世界の良心です。かみさまなんです。

というわけで、結論:神格化しました。

 

◆エーダッシュの好きなところ

簡潔にまとめると、私のエーダッシュの好きなところは下記になります。

○自己投影含む
・生きるのを少しでも楽しくするためにクレイジーを作っている
・愛情表現が過剰
・死を辞めた理由が彼女
・生きる理由が彼女
・幸せの理由が彼女
・自分の命よりも彼女の好き嫌いが大事
・自分の命を価値のないものとして捉えている

○神格化含む
・自分がメンタルやられているときでも彼女を傷つけたくないが一番
・自分のメンタルよりも彼女との約束が大事
・他人に対する気遣いがピカイチ

○その他
・歌声
・音楽センス
・見た目
などありとあらゆる構成要素

 

ディアヴォの中でメンタルがダメなキャラの筆頭としていますが、彼女がいる限りエーダッシュは幸せなんだと思います。*8

 

 

◆エーダッシュヨシュアの比較

○エーダッシュヨシュアの違い

エーダッシュヨシュアはよく似ていると噂されていますが、私はそこまでヨシュアに何も想いませんでした。ヨシュアのこともめちゃくちゃ好きですよ!)
ヨシュアの行動も理解できますし、そういう経験(物への八つ当たり、自傷行為も人並み程度にあります。でも、自己投影もしなければ、そこまで愛情が傾くこともありませんでした。

自己満足ではありますが、そういう背景と柘榴さんの記事を読んで思ったことを書いていきたいと思います。

まず、エーダッシュヨシュアの違いについて。
大きく考えるとこの2つだと考えます。
1.基本的な対人関係
2.嘘を吐けるかどうか

 

基本的な対人関係

2人とも共通している対人関係は、彼女についてです。
彼女が大事で大事で仕方がないということは、2人ともに共通しているので、2人の違いを考えるにおいて不適なので置いておきます。

エーダッシュは基本的に、他人は全てどうてもいいと思っている節があります。
しかし、仕事相手にはきちんとした対応とります。店員にも真っ当な態度をとります(Survival Wars #3のコーラの注文時より)。何よりメンバーを大事にしています。(Riotのトラック4の「みんなと一緒に音楽やりてェんだわ」や謝罪より)

 

逆にヨシュアは言うまでもなく、基本的に全ての人に優しいです。また、コミュニケーション能力も高く、それは初めて会った人や外国人であっても仲良くなることができます。(書くまでもないので省略)

しかし、ヨシュアは”バカ”に対してのみ、容赦はありません。(Xtremeタワレコ特典より)

また、メンバーに対しても大半の人と同じように接しますが、それ以上は踏み込むこともありません。(ブレチャのメンバーが未だにサポメンのみで編成されていることから判断)

 

嘘を吐けるかどうか

どこからを嘘というのかというと、結果的に事実と異なることを言ったら嘘になるのだと思います。
なので、個人的にはXtremeでヨシュアが最初に言った「レコーディングは順調」という嘘は、もし別日のレコーディングに成功していた場合、言っているそのときには嘘だったとしても、結果的には嘘にはならないと思っています。

 

それを前提として考えると、エーダッシュは彼女に嘘を吐いていないと判断します。

エーダッシュはメンタルが安定していたとしても、不都合は話を逸らす・誤魔化すことで対処します。

一番嘘に近いのはRiotのトラック4で「レコーディングは順調」というもの。しかし、その話を続けることが出来ないまま、即座にメンバーの声で順調ではないことを察することができるため、嘘にはなりきれてないと思っています。個人的には見え見えの嘘は嘘に含まれません。

次に嘘と捉えかねないのが、Wiredのトラック3にて、足を痛めてこけたエーダッシュに彼女が「大丈夫?」という問いかけるところです。それにエーダッシュは「大丈夫大丈夫。久しぶり過ぎてちょっと勢い余っちゃったよねェ」と返しますが、当人的にはそのときは本気で大丈夫だと思っていたため、嘘を吐いたつもりは欠片もないと考えています。

 

逆にヨシュアはWiredの方では勿論、Xtremeでも彼女に嘘を吐きました。

ヨシュアはメンタルが安定している状態ならば、電話のみならず、対面であっても演技して、意識して嘘を吐きます。

例えばWiredトラック3では、「あぁ、腕の傷? わかんない。気付いたらこうなってたんだ。どっかで引っ掛けたのかも」とありますが、この傷はLAでの自傷痕であって、どうして傷がついたも知っているはずなのにさらりと嘘を吐いています。

また、Xtremeのトラック4では彼女からの電話(レコーディング当日、歌えなかったときの電話/2回目の電話)で「(LINEの連絡忘れるぐらい)レコーディング大変だったの?」という彼女の問いかけに対し、「いや、そんなことない。レコーディングすごく順調だったよ。でも、せっかくだからもう一日、別日を使ってじっくり録るのはどうかって話になって……」と返します。
でも、そこから数度繰り返しても歌えないのです。これは完全に嘘を吐いていますし、ヨシュア自身も「またアイツに嘘吐いちゃった」と言っています。

 

上記のことから、エーダッシュは嘘を吐けないが、ヨシュアは嘘が吐けると言えます。

 

嘘を吐くことについての是非は色々とありますが、個人的には是も非もどちらでもありません。

人間多かれ少なかれ嘘や建前を吐いて生きています。人間関係や仕事を潤滑にするためには必要な嘘が山ほどあるはずです。自分が相手を嫌いだとしても、相手がそれに気付いていないのならば、それを隠す嘘は大事だと思います。知らぬが仏ということは世の中にはたくさんあるはずです。

しかし、「自分のための嘘」はいいことはないとも思っています。相手のためと思って嘘を吐いたとしても、大抵は自分のための嘘になってしまうことがあります。先ほど、知らぬが仏と言いましたが、嘘を吐くことで相手が守れると思ったら大概間違いですし、隠し事も相手を慮って黙るのも、そのこと自体で相手が傷つくことがあります。

Wired・Xtreme問わず、ヨシュアは彼女が自分を心配しないようにと嘘を吐いたのかもしれませんが、結果として、それで彼女はヨシュアを心配しました。つまりはそういうことです。

エーダッシュが嘘を吐かないのは、ただ隠し事が上手くないのかもしれませんが、他のヴォーカリストたちに”メンタルが危ういこと”を隠している以上、そうだとも言えません。

彼女の前でだけ、隠し事をしたくない・弱味を見せてもいいと思っている・頼りたい相手だと思っているから、嘘を吐けないのかと考えましたが、これはヨシュアにも共通する感情だと思っています。

つまり、この2人について考えると、彼女に対して嘘を吐けるか吐けないかは大きな違いだと思います。

 

○エーダッシュ自傷行為ヨシュア自傷行為

エーダッシュ自傷行為は間違いなく愛情表現です。

確かにエーダッシュ自傷行為を行った無印のトラック4では「死ぬということはできるだけ考えないようにする」という約束をまだ交わしていないため死にたがりでした。しかし、あの自傷行為は死にたいがためにやっていません。

そもそも名前を彫る程度じゃ別に死ねません。あくまでも「自分で愛する人の名前を刻む」という愛情表現です。

でも、考えてみてください。「好き!とか愛してる!とかいくら言葉で言っても無理なわけ。そんなのいくら言っても消えちゃうし、あとには何にも残んねェんだからさ」って言ってますけど、エーダッシュってバンドマンですよ? 作詞作曲をつかさどるキーマンですよ? 歌作ればよくないですか?

じゃあ、何故、エーダッシュは愛情表現のために歌を作る等ではなく、身体に名前を彫ったのでしょうか?

 

第一の理由は、自分が普通の人と異なる方法で愛情を表現したかったのだと思っています。

普通の人──例えば、ジュダは音楽陶酔癖はありますが、誕生日プレゼントとして彼女に歌を贈るため、そういう感性は普通の人だと思います。あとは他のヴォーカリストたちも好きを言動で表し、歌やライブで伝えようとしています。これが大体普通のバンドマンの愛情表現だと思います。

でも、エーダッシュは彼女の名前を自分の身体に彫った。自分が彼女のモノであり、自分が彼女を愛しているからこそ、自分を傷つけることも厭わないという表明であると思います。もしくは彼女の名前を彫ることで彼女に少しでも同化して、自分の価値を高めたかったようにも見えます。

実際彼女の名前を彫るなら、それこそタトゥーにしたいのなら、自傷行為ではなく専門的な店で実際に彫ってもらえばよかったのにも関わらず、自傷行為で済ませたあたり、エーダッシュは自分の行為を普通ではない、異常行動であると理解しているように思われます*9。このことから、エーダッシュが彼女の名前を身体に彫ったのは試し行動(異常行動で愛情表現することによって、彼女が自分を受け入れられるか)したようにも見えます。

自分の愛情や自分自身を受け入れられるか試したいけど、彼女は傷つけたくない。
そういった感情が相まって、エーダッシュ自傷をしたのではないかと私は思います。

 

それに比べてヨシュア自傷は明確です。

感情の発露です。明言しがたい感情があって、それをどうにかしたいけど言葉にできない。なおかつ相談できない。でも、抱え込むことすらできない。そういうのが複雑に絡み合って、どうしようもなかったときに、つい切ってしまったんだと思います。

でも、その”つい”、なんとなくでやってしまった行動で、”何とも言えない何か”が形になってしまった。

自分で自分を切りつけるなんて基本的には恐怖がありますし、それを乗り越えた達成感とその恐怖が過ぎ去ったあとの虚脱感、痛みや血として苦痛が吐き出されているような錯覚も相まったのでしょう。

自傷する人にも理由が色々があるので、上記の理由が合っているとは思ってないのですが、明言できない不快感が多少なりとも解消されたことに違いはないと思います。

 

ここで改めて思い直すと、ヨシュアは明らかに自傷行為を異常行動だと、明確に認識しています。だからエーダッシュのように傷跡を見せることはせず、隠すという方法を取りました。そして、自傷痕を見られた場合は誤魔化しました。

これは自傷行為を見た人が心配する・傷つく・不快感を抱くことを理解しているからだと思います。
それでもヨシュアは、Wired時点で自分の悩みを相談できる人がいなかったから自傷行為をしていました。でも、Wiredで彼女に相談できたことによって、自傷行為から距離を置くことに成功したと言えます。

 

じゃあ、何故Xtremeで再発したか。それは、ヨシュアが男の子だったからでは、と私は思います。

男の子って好きな女の子には格好つけたがるイメージありませんか?
そういう、彼氏として頼られたい、心配される側より彼女を守る側になりたいという、言ってしまえばプライド的なそういう話です。

だから収録は上手く行っていると彼女にもdevilsたちにも言い続けた。そしてその嘘を本当にできるように努力もした。

でも、自分が望む成果どころか何も出来ていない。誰にも頼れない。それなのに解決策が見えない。

そういう袋小路の迷路で、以前自傷行為で覚えてしまった明言できない不快感解消方法をふと思い出してしまったのではないかと思うのです。

やってはいけないことを理解しながらしてしまう自傷は、不快感の解消だけじゃなくて、どうしようもない自分に対しての失望感と絶望感を伴うように見えます。止められないから仕方ないですね。

 

上記のことから、
エーダッシュは愛情表現・試し行動・自己価値の上昇を目論んで自傷したけど、各々の効果がそこまでなかったから自傷が再発せず、
ヨシュアはストレス発散(意訳)・格好つける(意訳)ために自傷して、再度必要があったから自傷したのではないかと考えました。

余談ですが、どっかではエーダッシュヨシュアのコンビを死にたがりコンビと言うらしいですね。二人ともさして死にたがってないと思うんですけど、何をどうしたら死にたがりになるのか御教授願います。

 

○エーダッシュヨシュアの、音楽と彼女関係の比較

エーダッシュは彼女のためになら死ねるけど、ヨシュアは彼女のためになら音楽を辞めてもいいと明言しています。*10

これはエーダッシュが彼女に依存していて、ヨシュアが彼女と相互扶助の関係であるからそうなるのだと思います。

エーダッシュは彼女に依存しているから、彼女から嫌われる・捨てられる世界なら死んで終わらせます。

そんなエーダッシュにとって音楽は生きる糧です。エーダッシュは生きるために歌います。生きている限り歌います。それこそ彼女のために。
エーダッシュにとって音楽はとても大事ですが、死んだら音楽はできないことを理解しています。だから優先順位としては「彼女>死>音楽>その他生きること」となっています。
エーダッシュの音楽は彼女のためにと明言しています。彼女がいるから生きていれて、彼女に尽くしたいから音楽もやっていく。そういう価値観の元に生きています。

 

ヨシュアは大好きで愛している音楽をやめるために彼女を理由にします。どれだけ自分にとって音楽が大事でも、自分を追い詰めてまで音楽を続けているのは異常だと思うから。でも、そんな音楽で自分を追い詰めるヨシュアすら、彼女はまるっと受け入れてしまいます。だから、ヨシュアヨシュアのままでいられるんです。彼女が知る昔からのヨシュアのまま生きていられるんです。

彼女がいるからヨシュアヨシュアのままで生きていける。でも、彼女がいなくてもヨシュアヨシュアのままでいると思います。腕の傷が増えるだけで。腕だけじゃ済まなくなる可能性があるだけで。

ヨシュアは自分が自分であるために音楽をやっていて、音楽を愛しています。

でも、彼女がどれほど大事かを主張するために、一番大事な音楽よりも彼女が大事だと言いました。それは彼女と共に”普通に”生きるためです。だから優先順位としては「彼女>その他生きること>音楽>死」となっています。

 

エーダッシュヨシュアも彼女が一番大事で、音楽をとても大事に重要に思っていますが、生死については真逆の立ち位置にいると思います。

これはどちらかというと多分、自分の命の重さの違いのように思います。このあたりはエーダッシュについてで書いているので割愛します。

 

○エーダッシュヨシュア

まとめです。

確かに2人には共通項が多々あります。自傷経験がある・歌えなくなる・ノリが軽い・メンタルをやらかしている=精神疾患がある等)

でも、当たり前のことですが、明確に違うキャラクターです。

だから、私はエーダッシュが好きだけど、ヨシュアのことを同様には思えなかった。それだけのことです。

 

2人はTwitter上でも、ドラマCD上でも、ステラワースの全巻連動特典SSでもとても仲良く描写されています。

それはエーダッシュヨシュアも否定しないし、期待しないからではないでしょうか?
2人が否定されることで、期待されることで、辛い想いをしてきたからのように見えます。

また、エーダッシュヨシュアも互いに深く踏み込みません。
エーダッシュはネタにしてツッコミはいれますが、そうして表立って冷やかすことでそれ以上深入りしないようにしているように思います。ヨシュアは広く浅くの付き合いをすることで、深入りしていないように見えます。

そういう呼吸が合う2人だからこそ、あのように仲良くできるのではないでしょうか?

でも、どんなに仲良くても互いが互いの支えにはなれません。
否定も期待も深入りもしないから、支え合うレベルの”友達”にはなれないように思うのです。

エー子がdevilsにならないのは、そこでヨシュアのファンだと嘘でも言いたくはないのではないでしょうか? ヨシュアとは対等に、仲間としていたいのかもしれません。
でも、ヨシュアは仲間はずれを嫌います。ミネットであり、シュヴェスターでもあり、warmsであり、チアーズであり、RATちゃんにもなるのにdevilsにはならない。その疎外感はヨシュアの嫌いなものであるように見えます。

この2人は多分どこまで行っても平行線で、交わることはありません。
でも、だからこそ、互いが互いで程よい距離感でいるのではないでしょうか?

 

 

◆あとがき

ここまで書いた上でなんなんですが、エーダッシュらしさってなんなんでしょうね。

そもそも相手は偶像の、それも実在しないキャラクターであって、メーカーが準備した設定以上でもそれ以下でもないんです。それ以外は全部受け手が想像し夢想し愛した偶像であって、当人らしさではない。でも、2次元キャラである以上、その偶像を全部飲み込んだのがキャラらしさではある、と。

クレイジー・破天荒はドラマCDでしか出せないので、本編ではどうしても扱いにくいのは知ってます。その分、ドラマCDではぶっ放してくれていたので、これからもその調子で頑張って欲しいです。

 

個人的には、自己投影含めて、エーダッシュは一般人としては壊れていると思っています。
どこにでもいる人間みたいに、興味のない誰かに、配慮して、気遣って、大事にして、みたいなそういうことは一生できないだろうと思うんです。それでも時間と愛情があれば人並みに表面上ぐらいはできるとは思うんですけど、時間はくれないから多分永遠にこのままなのでしょう。

実際は、仕事と彼女ちゃん次第ではあるとは思います。

表面上仲良く一般人らしくいることってストレス溜まると思うので、今のままで幸せになってほしいんですが、”今”幸せならば、エーダッシュは一生幸せなのでしょう。私がそう思えば、私の認識しているエーダッシュも幸せになるはずです。
じゃあ、エーダッシュは幸せだよ。世界一の幸せものだ。

 

とはいえ、本当に、シナリオがどうなるか本当に怖いです。寝込むで済めばいいけど……あー、発売日翌日から遠出控えているから寝込むこともできないぞ……?

私のようなメンタル異常者でも納得いく内容だといいなぁ……。怖いなぁ……。あと、Rejetあるあるのリストラされたらどうしようかな……。まあ、どんな選択でも、エーダッシュの選択なら全部飲み込みますけどね。

そんな賢しげなふりしてクレイジーガールでいることを許してほしいなぁ。

*1:何より版権に対しての知見があるように感じます。見習いたいけど、真似るだけでできる気がしないので、頑張って学んでいきたい。

*2:例で挙げただけではエーダッシュの魅力は半分も伝わらないので、余裕のある方は本編購入をお願いします。お願いします。

*3:メンヘラと呼ばれる方々が患っていそうな精神疾患鬱病統合失調症境界性人格障害だと思っています。また、以降メンヘラという単語はそれらの精神疾患を患っている人という認識で進みます。

*4:希死念慮はあるのとクレイジーさから躁鬱である可能性はありますが、クレイジーなときは躁状態というより前述のとおり、演技や気質が強いように見えるため、純然なる思想としての希死念慮に見ています。

*5:なお、Riotで彼女がいなくなった瞬間に自殺しようとしている以上、「死にたい」という価値観はRiot時点で確実に変わってないし、Wiredでも言わないだけその価値観は変わっていないと思われます。

*6:余談ですが、無印の特典だとエーダッシュの意思をごり押しするオラオラ系に見えるんですけど、RiotとかWiredになるにつれて彼女の意に沿わないことしなくなっていて、依存が悪化してるし相変わらず自己価値低いままなんだと考えています。

*7:いじめによる自殺など、特異な状況はこの場合考えていません。

*8:彼女は存在しない件については別記事参照

*9:シナリオ製作者がそこまで考えてない可能性はある

*10:その後に「音楽を愛してる。締切ブッチして干されてもどうせ音楽辞められないんだ」とも言っていますが。