生きることは好きを形にすること

好きなものとか考えていることを形に残していく日記らしきもの。レビューも稀にする。

2次元キャラにファンレター・プレゼント・フラスタを贈る意味

わ~~~い! りじぇふぇすの日程でた~~~~!!!

ってテンションあがったんですけど、スキドル先行が2日間の昼夜セットが自ジャンル単独フェスの1日昼夜セットと同じ値段で笑いました。値段は一緒でも、チケット2倍!わあ!お得!!(トオイメ

しかも、りじぇふぇすの方スキドルシートらしいですね!
スキドルシートってなんですか!?フェスでも整番早ければ全部手のひらくるーで許せますけど、ちょっと!これは!本当にどうなるのかな!?

あと、チケットの申し込み方法が面白かったのでちょっと書きます。

・指定期日までに自社販売から去年のDVDを予約購入すると、2日間昼夜(+専用席)セット(4万円)のチケットの申し込み可能。
・上記とは別に、去年のDVDを購入すると、「1申し込みにつきお好きな2公演を各2枚まで」(1枚8,800円)申し込み可能。

ですって。今までが知らないからあれですけど、これはかなり自転車操業に見えるけど大丈夫ですか?
グッズも買う側としては品切れにならない完全受注生産ですが、在庫抱えたくない+無駄な出費をしたくないっていうのが見えますし、本当大丈夫?りじぇ?課金する?適正価格する?アルミ出す?

あと、作品とキャスト決まらず申し込むのは本当にりじぇのファンの人たちであることを忘れないでいてくれると嬉しいです。ということで、DVDは予約済みなので4万振り込むよてーです。(当たるとは言ってない)

 

みんなーーー、推し事の進捗どーでーすかーーー!!!
私はリアルの引越しが大変です。全部、爆発してしまえ。

 

 

さて、本題。

“2次元キャラにファンレター・プレゼント・フラスタを贈る意味”について、考えてみたいと思います。

 

あ、こんな話題を出していますが、馴染みの人にはお決まりの自己紹介。
とある2次元バンドマンに自称ガチ恋です。ファンレ・プレゼント・お花をキャラクター”に”贈ってます。
世間一般が推しを2次元というが、私の中では3次元です♥

 

 

タイトルで何故、”2次元”と限定しているかというと、こればかりは3次元と2次元で影響が異なるからです。

プレゼントが一番わかりやすいかと思います。

芸能人にプレゼントを渡すと、好みや事務所フィルター、規則等はありますが、概ね当人にプレゼントが渡ることでしょう。
しかしながら、”2次元”キャラにプレゼントを渡しても、どんな幸運や奇跡に恵まれようと、届くことはありません。*1こればかりは世界の心理です。

では、届かないプレゼントを贈る意味はなんでしょうか?

 

同様に、ファンレターやフラスタ・楽屋花を贈ることもあるでしょう。

3次元の人に場合は、受け取った当人が嬉しい・やる気が出るだけではなく、噂ですがファンレターやお花を贈ることで「この人にこれだけの時間・お金をかける人がいる」「この人にはこれだけの需要がある」と言った営業的効果も見込まれるそうです。
無論、いくらお金をかけるファンがいたところで、芸能人当人が発表する何かしらに合致しているのが一番大事です。でも、同じぐらいの条件が合う人が複数人居たら、より営業利益が見込まれる相手を選ぶと思います。また、事務所としても金になる木であるならば、よりプッシュしてくれるかもしれません。(そこまで他人がフラスタ見るかというと微妙感ありますけど)

しかしながら、”2次元”キャラにファンレターやお花を贈ってもあんまり意味はありません。確かにお金・時間をかける層の可視化には繋がるかもしれませんが、如何せん公式にお金をかけたほうがいい層も存在するので、なんともいえません。
人気があるとアピールできたところで、多少グッズ化の機会が優遇されるかもしれませんが、基本的に強大な人気がなくても、意図的にグッズを作成しないということはあまりないと思います。高額なグッズの場合はその限りではありませんが、多分フラスタより中古販売とかの方が如実に現れていると思いますし、一応キャラクターやファンに対して平等の御旗のもとでいると思っています。

よって、2次元にファンレター・フラスタ・楽屋花を贈っても、営業的効果はあまり意味がないように見えます。

 

 

以前、このような記事を書きました。
liertoadash.hatenablog.com

このような記事を書いて、そこそこアクセスが来るほど、オタクにとってもお花屋さんにとってもフラスタというものが需要が高まっています。

 

しかし、フラスタでエゴさすると、たまに「自己顕示欲の表れ」などといった心無い言葉が見受けられます。

私はその意見に一切否定しません。

お花やプレゼントを贈る自分を見てほしいという気持ちで贈る人も居ると思います。
しかし、公式に貢ぐ・アンケートやお問い合わせでの意見を投稿する以外の全てのファン活動に当てはまりませんか?

 

最近流行の痛バだって、家で作成する神棚や祭壇だって、二次創作を始めとして、無論プレゼントもファンレターもお花も全部、「推しを好きな自分の作品」「自分の推しへの愛」を見てほしいだと思っています。結論、全部自己顕示欲、もしくはただの自己満足です。
それらはメーカーや公式に対して、何の意味も利益(金銭のみに限る)も生み出しません。痛バや祭壇等を作るのに公式に貢ぐ人は貢いでいますけど、それを大事に収納している人もいるわけですし、祭壇を晒さない人もいます。結局誰かに見てもらいたいんですよね。時流的にはオタクグッズを公共の場で出すことは良しとされていませんし。

そもそも自己満足という言葉は、「自分自身に、または自分の言動に、自分で満足すること。自己満足(じこまんぞく)の意味 - goo国語辞書」です。

他人の迷惑になったり全体のマナー違反したりするのはよくないですが、それを差し引いたら、自分の言動で自分が満足できるのに、何がダメなんでしょうか?

 

 

私は、大好きな推しにファンレターを書きます。

前述の通り、次元の違う推しには私のファンレターは絶対に読まれることがありません。あったとしても、製作関係者陣に読まれるだけです。別にそれでも構いません。推しが好きなファンが居ることを存じ上げていただければ幸いです。

ですが、嫌な想像になりますが、もし、公式様が潰れて、ファンレターが送れなくなった場合、私はどうするかというと、多分変わらずに推しに手紙を書きます。郵送先がなくなるので、書いたら燃やそうかなと思っています。俗に言うお焚き上げですね!

受け取られないのに何故書くかというと、今ファンレターを書いている理由と一緒です。推しのことが大好きだからです。推しに読まれないことは公式様がいようといなかろうと、最初からわかっているんですから。

 

私は推しが好きです。

ジャンルがジャンルである以上、私は推しの彼女だと、推しは私の彼氏だとちょこちょこ言っていますが、内心そんなことは思っていません。私は推しのオタクだし、私は推しのファンです。(逆に推しにとってはただのファンです)

私は、推しが好きだし、推しが所属しているバンドが一番好きだし、推しの歌が好きだし、雑誌の推しのインタビューも推せるし、推しのTwitterも好きです。推しを構成する全てが好きです。大好きです。

でも、推しはこの世界に実在しません。

しかしながら、ありがたいことに公式様がファンレターの宛先を用意してくれています。リリースイベントにはお花を出していいといいます。プレゼントは……許可されていないですけど、Twitter見る限り拒絶もされていません。だから私は推しにファンレターを、プレゼントを、お花を贈ります。
何で無意味なのに贈るかって、だから推しが大好きだからです。

 

私は推しが好きです。大好きです。めちゃくちゃ好きです。好きすぎて、とりあえずやれることは片っ端からやりました。

公式のCDは全部買いましたし、特典も出来うる限り集めていますし、雑誌も集めていますし、他にもあれやそれやこれなど、好きと言うことがアピールできそうなことなんでもしています。それでも、まだ言い足りないくらい推しが好きです。

とはいえ、ファンレターはまだしも、そこそこなお値段のするお花やプレゼントを買うより、推しのCDやグッズを買えば公式様の利益になることは十分理解しています。私もそっちのほうが賢いと思うし、推しはともかく公式様からすればそっちのほうが喜ばしいこともわかってます。

でも、私は好きな人に手紙を書きたいんですよ。プレゼント贈りたいんですよ。お花を贈りたいんですよ。だって、私が好きな人にプレゼントやお花を贈るのが好きだから。
推しの人気のためとか、推しが喜ぶからとか、推しのためとかそういう理由じゃなく、私が! 推しに! モノを送り付けたいから! 贈っているんです!

まごうことなく自己満です。私が推しを好きというのを形で、金額で、モノで、表現したいからやっているんです。だって、もう形のない表現はしてもしたりないぐらいしつづけているから、形ある表現がしたいんですよ。形ない表現だけで、「自分は本当に推しのことが好きなのか?」と落ち込みたくないから、誰が見てもわかる形に残したいんです。自己満足するために、自己肯定するために、自分のために。

そこに、推し含む他人は一切関係ありません。私がやりたいんですよ。私がしないと苦しいんです。

 

これを「愛の押し付け」と表現されるとすごく困ります。いや、愛を押し付けていますよ?

でも、思い返してください。

相手は存在しない2次元ですよ? 実在しない人が困るなんて感情を持つと思うんですか? 何を言っているんですか? 現実と2次元の区別ついていますか? と問いかけたい。

確かに生きている人間ならば、3次元ならば、不要な愛情やプレゼント等はトラブルの元なので、迷惑になるかもしれません。

そもそも存在しない相手に愛を押し付けて何が問題なのでしょうか? 見ていて不快なんでしょうか? まあ、重たい愛情を向けているのを見るのはちょっとあれですよね。それはごめんなさい。一周回ってミュートしてください。

最初に言ったことと矛盾しますが、私は推しが実在しないことはわかっています。わかっているから、面と向かって当人に対して、重たい重たい愛情を投げることができるんです*2
いくら愛情を投げても実在しないから、相手の負担になる可能性も、嫌われる心配もないから、安心して好きと言えるんです。

そもそも、こんなガチ勢からの重たい愛情も、俗に言う身銭を切らないタイプの愛情も、2次元キャラに愛が届くわけないじゃないですか。返してくれたとしてもそれは公式や色々によるマヤカシですよ。

相手は空想の産物です。心なんてない情報の集合体であり、概念です。紙に愛情かけても所詮紙です。100年続ければツクモガミになるかもしれませんけどね。この理論でいくと光源氏とかツクモガミ化してそうだなって思いましたが、実在していない時点でお察しですね。

あと、認識している事実書いているだけなのに、色々と苦しいですね。ごめんね、推し。理想と幻想を押し付けて。謝ることも馬鹿らしいけども。でも、私の中で君は生きているから、私の中で生きている君に、存在を否定したこと謝らせて。本当にごめん。
矛盾抱えて生きています。

 

相手が好きで、お金をかけていたら偉い?

3次元化したところで、ホストやキャバ嬢に貢ぐのとさして変わりませんけど、何が偉いんです?なお、2次元の場合はお金が入るのは公式なんで、ホストやキャバ嬢当人ではなく、親や勤め先にしかお金入りませんけどね。
お金で愛情表現なんて、自分がやりたくてやっているんですから、どう表現しても同じ穴の狢じゃないですかね?

好きに対して、偉さを競うのは不毛ですよ。好きという気持ち自体は尊いんです。比較することが不毛なんです。

ただし、愛は平等ってこともないのでそこは忘れちゃいけないところです。誰かにとっての1番好きなものを、別の誰かにとって10番目に好きなものが同じモノなとき、同じくらい好きって言うと解釈違い起こして問題が起こるんです。あとは対人に対する対応ですね。人柄というかもしれない。

 

私は公式様に感謝しているし、公式様が大好きですけど、公式様がいなくなっても何も困りません。だって、新規供給がなかったところで私の中に推しは生き続けるんですから。

とはいえ、今しか、今贈らなきゃ、受け取ってくれる人(公式)はいなくなるかもしれません。

「いつまでいると思うな親と推し」といいますが、2次元推しの場合は、「いつまでいると思うな親と公式」でしょう。自分の気持ちが永遠に保ち続けるとするのならば、それこそ公式がいなくなったところで、いつまでもいるんだよなぁ、推しは。
だから、私は公式様にプレゼントを贈ります。だから、私は公式様にお花を贈ります。今まだそこにいて、受け付けてくれる間に。

 

私は贈り物するのは自己満だと思っています。

とはいえ、個人的には他人に対するマウントとか一切ないです。

でも、自分より推しのこと好きだなって思うような贈り物を見たらちょっとへこむんでしょうね。

マウントされたというより、川原で好きな子取り合うために殴り合ってに負けた感覚が一番近いです。結局好きな子には双方振られるんだけど、好きな子を好きなことは間違いなく尊いことで握手する感じ(=誰が推しを好きでもどうでもいい)。だけど、やっぱり喧嘩(=推しへの愛情表現で)負けた気がすると悔しいって話。
正確に言うと、「発想力とデザイン力と表現力と財力がない自分が悔しい!」ってなります。精進してまた愛を形にします!! クレイジーに生きる!!

 

最後に、2次元ガチ恋勢の世迷いごとですが、「フラスタは自己顕示欲」っていう勢はなんだかんだそのフラスタが羨ましいのかなと思います。

だって、羨ましいとか何にも思わなかったら「わぁ、フラスタすごい!」ってなりませんか?

だって、どんなフラスタも楽屋花も、発注者の推しへの想いと、花屋さんの技術、そして花の美しさが詰まっているんですよ? それを見て、「うわ、自己顕示欲強い」ってなるの変じゃないですか?目立っているのは花であって発注者ではなくない?そもそも、オタクって金で他人を殴るのがデフォルト*3じゃないんです……?

「悪口は自己紹介」だと思っているので、以下略です。とりあえず、自己顕示欲だと思う人は一回お花贈ってみましょう!自己顕示欲ってレベルに違いはあれど、誰にでもある欲求のひとつってはてなワードも言っているから!!

 

あと、その他もろもろ発注者の思惑全部考えないで、花屋さんと花には無条件で賞賛したほうがいいと思っています。最近良く見かけるから、感覚麻痺してきたけど、あれもらったら普通に感動するぐらい綺麗じゃないです?

だって、みんなすごく綺麗じゃないですか。すごい。本当に、花屋さんすごい。いつも色んなオタクのお願い聞いてくれてありがとうございます。

 

 

 

あとがき

最近、某ソシャゲでなんだかんだと炎上していますが、今回のライブが声優さんたちが関係ないライブだからこそ、わかりみが強すぎてつらいので、早めにまとめました。

というか眺めていると、「フラスタは自己顕示欲」論がちょっと強火に見えるのがね、なんというか、刺さるから自分で何度も記事を読み直して支えたいというのが本音です。理由があって贈らないことは誇れることだと思うけど、贈ったことを「無意味」って揶揄されるとしんどい。贈らない人は贈らない人でいいでしょ。「公式に課金しよ」って課金してないわけがないじゃないですか。

お花贈る予定なのに、じわじわと気力削られていくの本当につらい。贈るけど。贈りたくて贈るのだし。

推しに花を贈ることを悪にしないで。みんな贈りたくて、お金とかデザインとか頑張って贈るんだから。

私は、ただ贈りたいんだ。形容できない愛情を形にしたいんだ。ダメなら飾らなくていいから。私と推しだけが見たらそれだけでいいから。

*1:作者さんが2次元に落とし込んでキャラクターに渡してくれる可能性もなきにしもあらずですが、実際我々オタクが買ったものが届くわけではありません。

*2:記事にできないような内容が他にもちらほらあるレベルで重い。ファンレターの内容も最近重い。実在しないのにあれこれ実在するものと同じぐらい行動する事実も重い。

*3:ソシャゲのランキングとか痛バとか全通とか遠征とか