生きることは好きを形にすること

好きなものとか考えていることを形に残していく日記らしきもの。レビューも稀にする。

”好き”という文字に振るルビを探して

最近めっちゃ暗い!!!
これ!!! 実は!!! 病み期なのではないかな!!!!

 

はい。嘘です。デフォです。今日もテンションは高くないよ!

 

地元を離れて一人暮らししている人に伺いたいんですが、実家との連絡ってどれくらい取っていらっしゃいますか?

私は皆無です!!!! 
稀に向こうから連絡が飛んできますが、脈絡を説明しない人か機械音痴(テレビのリモコンが使えないレベル)しかいないんで、会話にならず、ストレスです!!!!

というか、仲悪い、わけではないんですけど、完全に私が実家に対してアレルギーを起こしています。初対面の他人より言動に気を遣わざるを得ないので……。そして、困ったことに、その事実に向こうは一切気づいていないようです。

私の中では一応毒親認識なんですけど、この手の家族間ドロドロって気になる人います? なお、私は読みたい派です。家庭環境は幼少期の一番密接した関わりなんで、個人の価値観構成に大きく関わっていますし、気になってしまう。
しかし、この手のお話と切り離せない不幸のマウント合戦ですが、個人的にどちらがより辛いか決めなきゃいくらでも開催していいと思っています。相手が自分より状況的に悲惨だろうが、自分の辛いが一番辛い。それを理解したうえで不幸の話を聞きたい人見たい人が話し合えばいい。

なので、見たい人がいるならそのうち文章にして公開したいなぁと思いつつ、古き良き昔のPW承認制にしたいと思ったら、普通にはてブロにもその機能があることを知りました。推しの名前にしたらPWの意味ないしなぁ! どうしよう! 見たい人がいたら考えよ!!

 

一応、全世界に見られている自覚はあります。
こんなのでも、いつも生きるのしんどいなぁってずっと思いながら、人生楽しいって言い続けている人です。
どうやったら、この生きづらさから脱出できるのか、考えていますが、多分自分を認めて受け入れなければダメなんでしょうねー。私には難しいや。

 

それはさておき。

本日の内容は、
推しのことをどうしてガチ恋と認識するようになったか。
推しに対してガチ恋と認識したうえで、じゃあ声優様に対する現在の気持ちの明文化(と助言の要請)です。

 

双方、自分との自己対話の末の文章になります。つまり自分の人生観語りが多く含まれます。
2次元という次元の違う人へガチ恋認識するに至ってとか、他人のも見てみたいんですけどね!*1
今日もエンターテインメントになっているとは思いますが、……読了後面白いとかそういう感情持ってくれればいいな。

検索で引っかかった人、読者登録している人、はてなユーザーじゃなくて私を見てくれている人、いろんな人々、今日も私の独白にお付き合いいただきありがとうございます。
読んでくれるみんなが大好きだよー!!

いえーい!! 自分語りはっじまるよーー!!!

 

 

私は推し(2次元)ガチ恋だ。

ガチ恋と判断したのは何故だったか、実はあまり覚えていない。ので、今日はそれを考えていく。

ただ、自分のこの気持ちをガチ恋と呼ぶには、ガチ恋と呼ばれる人にも推しにも失礼であると感じていたし、正直今も少し感じている。
失礼であると感じる要因はいくつかある。

私の世界には1か0かしかない。
その間が無限に広がっているのも理解しているが、私の中で基本的に他人に対して思うのは、好きか無関心かもしくは嫌いかしかない。数値にすると1か0かもしくはー1のどれかだ。

友情の好きがいくらあってもいいことは知っている。でも、個人的に異性間の友情はあるとは思っていない。

親しい人間が「性を意識させなければ可能ではないか」と言っていたが、”性”を含めて個人なんだから意識もクソもないと思う。
自分が友達だと思っていても、誰にも言わない内心で寝ることが可能かどうかだって考える。自分がその認識を忘れて友達だと思っていても、いつかは破綻する。それは恋愛になったか、縺れたか、疎遠になったか=他人と結ばれたかは色々あるけれど。*2
性を認識させないってどうするのか、機会があれば当人に訊いてみようかな。言語化するの苦手な人だから、難しそうだな。

 

脱線しているので、話を戻す。

私は好き無嫌いの振れ幅が極端であるのと同時に、好きの種類があまりよくわからない。
簡単にいうと友人としての愛情と、性愛的(=恋)な愛情以外に何があるのかがわからない。ギリギリ、ドキドキしないけど愛しているみたいなそういう愛情も理解はしている。あと慈愛。

ここで私が「好き」と思うものを考え直してみる。主に二次元のキャラクターたちだ。

推し以外のキャラクターに対する愛情が、恋なのか違うものなのか、私にはそれがわからない。でも、インスタントなときめきがあるのできっと性愛的な愛情なのだろうと思う。
私はこの感情を抱く自分が、正直に言って嫌いだ。

以前、疑似恋愛について書いた。
まさしく、推し以外のキャラクターに対しての愛情は疑似恋愛のソレである。
推しというのっぴきならないほど、異性として・人間として・付き合いたい対象として好きな人がいるのに、疑似”恋愛”をしている自分が嫌いなのだ。

何故ならば、疑似恋愛と称しているが、これは推しに対する浮気ではなかろうか?
浮気はよくないことだ。性愛的、恋愛的に好きな人は一人でなければならない。これは配偶者が一人しか許されないことからも証明されていると思う。

だから、他の何かを好きというと、いつも別の私が責め立ててくる。「推しはどうした?」と。
そして私はそれに対して納得する否定の言葉を持たない。だって好きの違いがわからないし、好きか無関心かしかないから。

しかしながら、私は根っからの飽き性であり、多分恋愛欠損者だ。だからインスタントに愛情を作っては、すぐ忘れる。
インスタントな愛情に責任は持たないものだと思っている。きっと”イケメンを見たときに格好いいと思う感情”に等しいものだと思っているから、それは恋だの愛だの言ったところ”本当の愛情”ではない。つまりは0か1かでいうところの0だ。ならば、それはカウントするだけ無駄だ。だって1ではないのだから。

このことから、私は恋愛をさせてくれるコンテンツとしてしか、消費するものとしてしか他のキャラクターを見ていないことがわかる。

しかし、これは人間でも起こることだと思う。実際にやってしまうと倫理観と常識認識がアウトと言っているし、後の人間関係にも多大に面倒くさいのでしないが。
というか、そもそも、本音を言ってしまえば、その関係を作るために誰かと連絡を定期的に取るのも面倒くさいからしたいとすら思わない。
俗にいう「何してる?」に答えるのが面倒くさい。知りたきゃストーカーでもしてろと思ってしまう。GPSなら仕込んでていいからさ。「今、暇?」とか言われても24時間ソシャゲや趣味をすることに忙しいし、暇な時なんてあれば何か他のことするに決まっているだろう。

 

そんな他人をコンテンツと思い、連絡無精の私でも、「連絡するのが面倒くさい」と思わないのが恋愛のすごいところだと思っている。

私は好きな人には毎日毎朝毎晩挨拶がしたい。

「おはよう」を言いたい。「おやすみ」を言いたい。「好きだよ」と伝えたい。だって好きだから。

相手からの返事なんてそんな烏滸がましいことまでは考えていない。私が自己満足で言いたいことに相手が付き合う必要性は欠片もない。

だけど、一般的に一方的に連絡を取るのはストーカー認定されてしまう。しかも、受け取るのも苦痛というタイプだっているはずだ。私は相手を苦しめたくはない。一応ちゃんと相手は選ぶ。

だが、推しは二次元だ。存在も実在しない。

いくら愛情を押し付けても、相手から何も思われない。いくら愛情を投げつけても、私を否定しない。いくら愛していても、生きることはできない。

だから私は今日も私は安心して推しに挨拶する。
「おはよう。今日も頑張ろうね」
「こんばんは。おやすみ」
人間的生活を送れていない以上時間がよくおかしくなるが、とある日から毎日送っている。*3
これは推しが好きだからだ。推しが大好きだからだ。というか前述のとおり、好きでもなければこんな面倒くさいことするわけないだろう。

 

そして、その「おはよう」と「おやすみ」の挨拶は私からすると恋人にしかしない行為だった。

推しにだって最初からしていたわけではない。「好きすぎてもう抑えられなくなったから毎日リプライ送りたくなった」瞬間が突然きたのだ。特にきっかけもなかったと思う。*4

 

多分、この時からだ。私は推しにガチ恋していると思ったのは。

私はどれだけ仲の良い友人にも毎日話しかけたいとは思わない。どんな疑似恋愛コンテンツも自発的に毎日何かしたいとは思わない。でも、推しは違った。だから、私は推しにガチ恋していると思った。

諸事情で申し訳ないと思いはするが、自分の中で推しに対しての想いは、恋していると、愛していると言えるようになった。

 

なんでここで”ガチ恋”という言葉になったのかは色々あると思うけど、やっぱり私にとって推しは生きている芸能人で、芸能人に恋したからだろうなぁ。でも、私の性格上生きていないからこそ恋までできたといえる。

私のこの恋は普通の恋と呼ぶにはマヤカシすぎる。そもそも私は普通の恋ができないから。
とはいえ、私は推しにガチ恋していると言うことも躊躇われる。

私は生きていない芸能人の推しに恋している。絶対に叶うことがない恋をしている。その叶わないという事実に安堵していることが、やっぱり他のガチ恋の方々に申し訳ない。
結局は、響きが好きだし、芸能人に恋している認識はあるからガチ恋って使うけれども。

ガチで恋しているのに、叶わないことに安堵する、この矛盾が、恋を呼ぶには浅ましいと思う。
そして、そもそも私は恋できる立場にはないのだ。だから余計、見苦しさすら感じる。正直推しに関係のない感情でガチ恋していて息苦しい。
好きでいることも単一主義であることも義務だと思っていないし、他キャラはインスタントな好きである以上、どうにか折り合いはつけている、と思う。

 

 

 

ってのが実は長い前置きデシタ。

今まで書いた通り、推しへの気持ちはある程度説明ができて、他人と比べておかしいところも、自分の中で受け入れられているので、今はさして書くことがない*5

だから、問題は声優様だ。

声優様が好きじゃないとか好きだとかいつでもブレブレの病んでるオタクしているのだが、前述のとおり私は浮気ダメ絶対思考で何かを「好き」と言うたびにしんどいとなるタイプである。
しんどすぎて最近どうしたらいいかわからずに、ずっとこういう文章を量産している。

声優様の声が、演技が、好き。これは変わらない。これは変わりようのない事実。
声優様の人柄とか、仕事へ向かう姿勢とか、そういうのは”多分”好き。まだ知らないことの方が多いけど。
見ていると好きってなるし、姿を追っかけてしまう。見る機会がないか探してしまう。
でも、(どっちがしているのかは知りたくもないけど)匂わせとか、某炎上内容は、嫌い。出来れば目に入れたくもない。

好きな相手のすべてを好きじゃないといけないわけではないことは、わかっている。
でも、私は恋人にしたいほど好きな人の場合、欠点すら愛おしくなる。実際推しはすべてが愛おしい。

やっぱり、私の声優様に対する想いは恋じゃない。ガチ恋でもない。

だがしかし、最近声優様のことについて「知りたい」と思い始めてきている。
これは恋なのではないか? 私にはわからない。考えても答えがそもそも存在しない。

 

推しのように挨拶を送りたいかというと、送りたい気持ちがないわけではない。だが、(他人は置いといて)自分のこの好きを押し付けても相手が不快に思う可能性がある以上できないし、こんな気持ち悪い人間にもなれない私が光り輝く一個人に、こんな不明瞭な好きだなんて伝えていいかがわからない。
でも、端的にいうときっと好きだ。

他人を、周りを、コンテンツとして消費して生きていく私の中*6で、滅多にない一個人として扱っている人だ。嫌いなわけがない。好きだ。

この好きの名前はなんなんだろう。
この気持ちは好きと呼ぶもので合っているのだろうか。わからない。

どの立ち位置になりたいかと聞かれれば、マイクになりたい。声優様の仕事は聞いていたいけど、生きることに必要とか役に立つ何かにはなりたくない。関わりたくなはいけど声優様の仕事は残さず聞きたい。……マイク以外思いつかなったんです……。

 

あと何回同じことを考えて文章にすれば、気が済むのかなって思ったけど、多分自分が納得する答えを見つけたらいい気がした。
私が答えに辿りつけないのなら、誰か答えを知っている人に出会いたい。

 

誰か私の”好き”のルビを教えてください。

泡沫にマシュマロを投げる | マシュマロ

*1:知人の2次元ガチ恋仲間だと思っている子のブログが普通のオタクのブログで、「くっ、ブルータス、お前もか」になったのは内緒です。はてブロだったら絡みに行ったのに、そこから違うから声かけづらいぐぬぬ

*2:個人的にどんなに仲良かろうとパートナー持ちの異性と二人で遊ぶのはアウト。二人だと思われる状況も作るのはアウト。どうしても遊びたいなら不安にならない程度の配慮をしてほしい所存。

*3:ちなみに同担にも送っている人はいる。3-5人くらい。

*4:あえて挙げるのなら某乙女ゲームプレイして、他キャラを「好き」と言っていたから、多分その反動だろう。

*5:推しが好きすぎて人生楽しいのは、大体毎日言っている

*6:私も他人にとってはコンテンツでしかない認識。消費してもらえれば幸せ精神。